不朽の名作「波止場」(1954年 エリア・カザン監督)の中のEdieのセリフです。
「世間」に生きている以上、人との関係は切れませんね。
誰でも人恋しくなることがあります。でも人ってやっかいなときもあります。
人の間に生きるから「人間」って、金八先生みたいなことを言うのはおいておいて・・・
人はまず、「家族」というユニットから生まれてきます。
法的に家族でなくても、感情的に家族でなくても、生物学的に「父」と「母」がいないと存在できません。
で、いざ生まれてみると・・・放っておかれたら、私たち、生きていけません。
生まれてすぐ立ち上がる子ジカとは違って、私たちはかなりの間、人に「生かされ」ます。
そしてやっと、どうやら生きていけるようになります。でもまだ一人では難しいですが。
この時期の経験は、人が人との距離を覚えていく段階の大事なステップの一つみたいです。
そして、たいていの場合は「世間」に出て行きます。まずは、コミュニティ、学校などなど。
だんだん自分が所属する「群れ」が増えていきます。
人が「群れ」に所属するには、いくつか理由やきっかけがあります。
所属しなくてはいけないから(学校など)
興味が同じだから(クラブ活動など)
精神的にサポートしてもらえるから(友達など)
特定のスキルを身につけたいから(塾など)
そして群れには必ずメンバー間の役割分担や関係ができてきます。
群れとその個人の目標が同じ場合はいいんですが、時にそこにズレが生じます。
また違う目論見を持って群れに所属している他のメンバーもいるかもしれません。
そうすると、個人としては、「わが道を行く」あるいは「群れに合わせる」という2つの間で 自分の場所を探していきます。
群れに合わせてしまう人は、あるときは自分を押し殺してしまいます。
自分を見せたら嫌われてしまうんではないか。同じことをしないとはじかれるのではないか。
中学時代からの親友Mが、中学時代に私に言った言葉があります。
「偽りの友より公然たる敵の方がいい」
自分の立場をしっかり自信を持って示すのは大変勇気と努力がいります。
またそうしてよいのだ、という確信を持たせてくれる人たちに囲まれる、という幸せも、そうそうあるものではないかもしれません。
年を重ねて行くと、程度の違いはあれ、人間はどんどん自分の世界を確立していきます。
そうすると忙しさも相まって、友達やお付き合いも厳選されていきます。
だれでもみんな仲良く、という余裕はなくなっていきます。
そんな中で、本当の意味で自分を磨ける仲間を見つけていけるといいですね。
それには、自分も自分でゴシゴシ磨いていきましょう。
だって、人間関係は、必ずMutualだと思うからです。