自己否定は美徳ではない。単に卑劣な行為を狡猾に利用しているだけだ(Self-denial is not a virtue: It is only the effect of prudence on rascality.)

George Bernard Shawの言葉です。ふむ。

自分に自信がなかったり、自分を否定したり。誰でも経験があると思います。
謙遜、っていうとちょっと美徳みたいに思えますが、自己否定、ってそれだけじゃないんですね。

確かに反対側(対応してくれる人)の位置に自分を置いてみると、自己否定する人につきあうのって
結構疲れます。自己否定しているように見えて、否定してない人もたくさんいます(笑)。
なんだー、結局自慢かよ、みたいな。

自分を認めてもらいたかったり、自分に足りないところを確認して逆に安心したり、
はたまた本当に自分を嫌になっていたり。
それに、自分を認めて肯定するのって、結構勇気いりますから否定した方が簡単。

自分を否定する理由、そしてそれがどのように現れるかによって、人への影響が変わってきます。

さてさて、今日は「境界性[型]人格障害 Borderline Personality Disorder (BPD)」です。

BPDを持つ人は、これまで見てきた「ドラマ・クィーン」「ナルシス」の人に共通した性質だけでなく、
一つ特徴的な性質があります。それは「self-damaging(自己を傷つけるような)」行為をする、というものです。
だから私にとっては「オオモノ」なんです。
それがギャンブルだったり、ドラッグだったり、危険なセックスだったり。
乱暴な運転だったり、浪費癖だったり。
それだけではなく、自分を傷つけたり、自殺を仄めかしたり、本当に未遂を起こしたり。

これは周りで見ていると、本当にひやひやします。
そして、正直なところ、「怖い」と思ってしまいます。
だって、目の前で急に自殺を仄めかされたりしたら、普通はどうしていいか分かりませんよね。
私が怖がっている場合ではないのですが、正直なところ、そこはまだまだ勉強中です。

元々BPDを持った方の出発点は、「見捨てられるのがコワい」、という気持ちです。
しかも、その「恐れ」は、現実のときもあり、また思い込みのときがあります。
でもその「コワい」という感覚はご本人にとっては現実であり真実であるので、
本当だろうが違おうが、関係ありません。
必死で、かなり必死でその状況を回避しようとします。

何故見捨てられるのがいやかというと、見捨てられるということは
「自分がEvil (悪者)でbad(できの悪い人間)だ」ということの証明になってしまうからです。
だからいつも「大丈夫だよ」という確認をしたい。そう願っています。

BPDを持った方の人間関係は、
よって時にとてもintense(張りつめた感じ)でunstable(不安定)なものになりがちです。
そして思い通りにならないと、激怒したり感情を激しく爆発させることがあります。

日常生活でも、相手を引き止めるために自分を傷つける、
あるいは相手がヘルプしないといけない状況に自分を置いてしまう人がいます。
それが例えば自殺、という究極の身体的危険でないにしても、
自分の名誉や立場や、時には他の人間関係を危険に晒しても、というか晒すことによって、
その目的を達成しようとします。
だからこちらのエネルギーがどんどん、まるで電気が漏電するように失われていくんですね。

ただ単に「自己チュー」といっても、その原因や目的は様々で、
一般化することがとても難しいです。まだまだ、たくさんあります。

********

周りを見回すと「自己チュー」と思える人は結構いますね。
「コイツ勝手だなー」とムカムカする前に、ちょっと考えてみてください。
「オレってだめなやつだなー」としおれる前に、相手を観察してみてください。
「はふ・・・」と疲れきる前に、立ち止まってみてください。
そして、その人に対する自分の反応も振り返ってみてください。

そこにネガティブなパターンがあるなら、それは取り除く必要があります。
その意志さえあれば、方法は必ずあると思います。

そしてもう一つ考えるべきことは・・・いつも通り、「人のフリ見て我がフリ直せ」。
人のことを分析していろいろ言うことは全くかまいませんが、
自分に対する理解も深めていきましょう。

最後にここをぷちっとしていただけると幸いです

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

自己否定は美徳ではない。単に卑劣な行為を狡猾に利用しているだけだ(Self-denial is not a virtue: It is only the effect of prudence on rascality.)」への2件のフィードバック

  1. いつも興味深い情報をありがとうございます。毎回楽しみに拝読していますが、初めてコメントいたします。
    私自身は決してココで言う「オオモノ」ではないと信じたくもあり、そして決して行動には出さないにしても、気持ちの上では「オオモノ」と共感するフシも多々あり。予備軍なのでしょうか(汗)
    人に心配してもらいたいとか、見捨てられるのが怖いという気持ちは否めません。思ってるだけならセーフ?

    • はらはらさん。
      ご購読&コメントありがとうございます。
      そういう気持ちは誰しも持っているものだと思います。
      ちょっと具合悪いフリして相手を引き止めたり、何かやってもらったり(!)なんて、よくあることではありませんか?
      しかもご自分でそういうお気持ちがあることを分かっていらっしゃるなら、セーフもセーフ、大セーフです。
      そういうのはみなお互い様だ、と理解して、気持ちよくそういう気持ちを出していきましょう!
      また何かございましたら書き込んでくださいね。

コメント

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中