死ぬことはひどく辛いことだが、しっかり人生を生きずに死ぬのはもっと耐え難い(To die is poignantly bitter, but the idea of having to die without having lived is unbearable.)

Erich Frommの言葉です。

「Thanatophobia」という言葉があります。死、あるいは死ぬことへの恐怖です。
死への恐怖は、多かれ少なかれ、誰もが持っていると思います。
中には「早く天寿を全うしたい」と言う方もいるかもしれません。
私も実際に何人かお会いしました。

私も小さいころ、人は死ぬ、という事実を受け入れられず、
それがコワいからいっそ自殺した方がいいのではないか、と思ったこともありました・・・
ものすごいパラドックスですよね。

あ、もちろん、自殺なんて企てませんでしたのでご安心ください(笑)。
毎日は基本的に楽しくて、捨てるにはあまりに惜しかったのです。

それでも私のパラドックスには意味があります。
つまり「いつ起こるか分からない天寿を待つより、その瞬間をコントロールしたい」
という思いだったと思うのです、今考えると。

死への恐怖にはいくつも背景があります。

未知のものへの恐怖。宗教的な観点からの恐怖。苦痛への恐怖。

このうち、「未知のものへの恐怖」は、身近に死を体験することで少し変わってきます。
なくなりませんが、変わってきます。
昔はおじいちゃん、おばあちゃんが身近にいて、
近所のおじいちゃん、おばあちゃんもいて、
そしていつか悲しいお別れをして、
何となく「死」というものと隣り合わせに生きてきたと思います。
老いや死についての準備、というか、そういうものがあったのかもしれません。

宗教的な恐怖。これは特定の宗教を持たない私には理解が難しいものですが、
文化的なnorm(規範)から外れたり、そしてその規律を違反したりして
罰せられることへの埋め込まれた恐怖、と理解すると、分からなくはありません。
罰する人がいる、というのはコワいですね。

でもこの事実をうけいれようがいれまいが今のこの人生は変わらないわけで、
やはり「どう生きるか」にフォーカスしたいものです。
それはなかなか難しいですし、
毎日「私はいつか死ぬんだから、今日を大事に生きよう!」なんて
思っていたら、神経が磨り減ってしまいますね。

そうではなくて、
まずは毎日の自分をしっかり受け止めて受け入れる、ということでしょうか。
「今、自分がどう生きているか」という、
「今、ここにある(here and now)」自分をしっかり認識するのは、
自分の生き方を考えるための大切なステップです

それが分かってから、今度はゆっくり「どう生きるか」を考えればいいと思います。
もちろん一足飛びに自分がどう生きるべきかを考えられる方は
それでいいと思うのですが、まずは今の、この生身の自分を
きちんと感じてからでも遅くないとも思うのです。

最後にここをぷちっとしていただけると幸いです

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

コメント

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中