2010年の新しい「The Karate Kid」から、
ジャッキー・チェン演じる Mr. Hanの言葉です。
コブラを操る女性に感嘆するDreにMr. Hanは、
静止することによって相手の動きをコントロールするのだ、といいます。
それを聞いて「じゃ、何もしないことでコントロールするんだ」というDreに
Mr. Hanが言う言葉なのです。
1984年のオリジナルを見て育った私ですが(wax on…. wax off….)
思いの外はまってしまって、テレビで放映されるたびに毎回観てしまいます。
Mr. Hanの言葉は奥深く、いろいろ考えてしまったのですが、
ポイントの一つは、そこにintention (意志)があるか、主体性があるか、
という問題なのかなと思います。
私は「悪意の不在は善意にはならないが、善意の不在は悪意になりうる」
といつも思っています。
「悪気はなかったんだけど・・・」というのが、結構キライなんです。
自分でも言ってしまうんですが(笑)。
悪気がない、という主体性のない無責任な理由で
責任逃れをしているようで、いやになってしまうんですね。
自分の後片付けは、自分でする。
そのためには、善意を持っていた方がいいけど、
意志がないくらいなら悪意を持っていた方がまだましなのでは、
と思ってしまうこともあります。
車の運転をしていても思うのですが、
一番危ない車、できればそばを走りたくない車、というのは
「何をしたいか分からない車」です。
コブラを操るまでになるには、それなりの意志や主体性が無い限り、
そんなエネルギーなんて出ないんだ、と思うんです。
・・・というか、逆ですね。
本気になったら、はからずも主体的になり、意志で満々になる、そういうものだと思います。
主体性や意志を常に持つというのも、それはそれで聞いているだけで疲れてしまいますが、
ここぞという場面では、やっぱり持っているべきなのかな、と思います。
それは周りの人のためでなく、自分のために。
自分で決めた、自分でやった、あるいは自分でやめた、という意識がないと、
いつまでたってもある事柄にClosure (終幕)をつけられないかもしれないからです。
私は「実存主義」ですから(笑)こう考えてしまうのだと思うのですが、
この混沌とした世の中、少し主体性を持っても、悪くはないと思うわけです。
今度「悪気はなかったんだけどね・・・」と言いそうになったら、
「じゃあ、”何”気はあったんだっ」と自分に問うてみようと思います(笑)。