「詠み人知らず」です(笑)。
先日友人と食事。
仕事は違っても同じhelping professionを目指す彼女と
「幸せ」について話が盛り上がりました。
・・・結局人を幸せに「する」ことって、無理なんだよね。
あ〜、自分はこんなに幸せなのに・・・
なんて二人で暢気に話ながら、
おいしくメキシカンをいただく夜更け・・・
カウンセリングの勉強を始めて、いろいろと先生たちから叩き込まれたことがあります。
そのうちの一つ。
「人を助けられる、なんて思うな」
・・・えっ。
えっと、うんっと、少しでも人の役に立てれば、と思って
この仕事を選んでいる人もいると思うんですが・・・
でも、勉強が進んで考えていくと、その意味が見えてきます。
なるほど。確かに。クライアントしか、その人を「助け」られない。
「天は自ら助けるものを助く」みたいですね。
同様に人を幸せに「する」なんて、できない。
「幸せ」というのはその人が「なる」ものなんだ、という考え方があります。
確かに、クライアントと話をしていると、
今この人は幸せになろうと選択しているか、それとも不幸せになろうとしているか
が分かります。
どちらが「良い」とか「悪い」、ではないんです。
よく友達の話を聞いていても「いや、そんな風に考えなくても・・・」
とか「そんな風に受け取らなくても・・・」って思うこと、ありますよね。
そして恐らく自分もそういうことを言っているはずです。
確かに見方を変えれば世の中結構バラ色になるはずなんですが、
見方を変える、って、なかなか一朝一夕にできるものじゃないんですね。
その人がある事柄をどういう風に受け取って感じるかは、
例えそれが100人中99人にとってdistorted(歪んだ)ものであっても、
その人の世界観の中では至極論理的でまっとうなものであるはずなのです。
だから私は簡単に「見方を変えれば?」とは言えません。
まずは「見方を変えてみよっかな〜」と思うところまで
クライアントと一緒に道を探してみるんです。
でも、その一方「幸せ」っていうのも、一回気づいたら終わり、ではなくて、
常に、コンスタントな努力を要するものだと思っています。
だから焦らずゆっくり、道を探していくしかないんだなぁ、と思います。
私もたまに「あ〜、なんで私はいっつもこう後ろ向きに物事を受け取ってしまうのだっ」
と思うことがありますが、
でも、人間ですから、いっつもハッピーハッピーでいる必要もないわけです(笑)。
世の中があまりに辛いことだらけで、そしてあまりに「癒し」が蔓延していて、
癒されていないと自分がおかしいように思えてきてしまい、
肩も凝ってないのにSPAに行くような気分になることが、私は多々あります。
苦しい瞬間が、不幸せな瞬間が、あっていいのではないですか。
そして、だからこそ幸せに向かって努力していけばいいのではないですか。
その幸せが「ポン酢しょうゆのあるうち」でも、「七色の虹の向こう」でも、
歩き続けていけばいいんだと思います。自分のペースで。