私は生徒に何も教えない。彼らに学べる場所を提供するだけだ(I never teach my pupils; I only provide the conditions in which they can learn.)

Albert Einstein の言葉です。

生徒さんの親御さんから「テキストは何を使うのですか?」
と聞かれることがあります。
私が苦手な質問の一つです(笑)。
大きな声では言えませんが、
テキストなんて極論すれば何でもいいんだ、と思ってるんです。
もちろん「教えるのがラク」なテキストはあります。
でも使われるテキストが「駄目」だからできない、っていうのは、どうなんだろう・・・
もしそうだったら、なんだか私は「先生失格」みたいな気になってしまいます。

何か新しいことを学びたいときには、テキストは「きっかけ」でしかないことがあります。
いや、ほとんどがそうじゃないか、と思っています。
テキストに書いてあることだけを鵜呑みにして、そこから何も発展しないのなら、
その「テキストの限界」が、「私たちの限界」になります。そうじゃないはずです。
テキストに書いてある事柄について、不思議に思ったり、発想を羽ばたかせたり、
そうすることで受け取るものが豊かになるのだと思うのです。

つまりただ受け身になり「好奇心」や「興味」がないと
ヒロガリ」を手に入れる事がむずかしくなります。
パソコンで新しいソフトを習っても、いざ自分で何かを作ろうと思うと、
どこから手を付けていいか分からないことがあります。
逆に、自分でやりたいことがあるので、それに沿って教えてもらうと、
やけにすんなり理解できる事もあります。

そのまた一方で、もちろん、ただただ受け取らなくてはならない基礎、
おろそかにできない基礎、ももちろんあります。
よく子供の絵を観て「ピカソのようだ」といいますが(笑)
ピカソの素晴らしいデッサンを観れば、
彼のあの創造性が、確固たる基礎の上にそびえ立っているのが分かるのは
ご存知の通りです。
やっぱり目的意識を持って事にあたらないと、
なかなかモノにできない、ということなんでしょう。

最初に「何かを学ぶとき」と言いましたが、
これは何にでもあてはまるものだろう、と思うのです。
何か新しいことを始めるときに、どこから始めたらいいか分からない事があります。
クライアントとお話してみても、
「○○をしたい」「そうですか、それは楽しそうですね」
ここまではいいんですが、
「何をしたらいいんですか?どうしたらいいんですか?どうすれば終わりなんですか?」
最初にそれをはっきりさせたい人がいます。

確かに何かを始めるときは、それをやったことがある人に何かを聞いたり、
誰かに手取り足取り教えてもらうと、とても安心できます
でもそこで終わっては、「そこまで」なんですね。
最初から「はい、ここまでで終わりですよ」というものなんて、
あるんでしょうか。

「全然おもしろくなーい」「全然わからなーい」「全然のびなーい」

そういった不満の陰には、実は

「全然おもしろくしてなーい」「全然わかろうとしてなーい」
「全然のびようと思ってなーい」

という、自分の側の問題もあるのかもしれない、と思うわけです。
本当にやりたいなら、自分でできることが、たくさんあるんですよね。

でもやりたくないこともやらないといけないのが、この世の中。
そういったときはせめて、自分でやりやすい方法を探してみる、
という努力だけでもすればいいと思います。

最後にここをぷちっとしていただけると幸いです

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