Stephen Leacockの言葉です。
クリスマス休暇が終わると、あっさりしたもので
NYはほとんど ”Business as usual” に戻ります。
日本人の私としてはそのあっさり度がちょっと恨めしく、
とはいっても一人で正月気分を盛り上げることもできないので、
友人宅を訪ねる以外は何となく過ごしてしまって、あれよあれよという間に日常に戻ります。
でもやっぱり「年の瀬」ですから、何となく区切りがいい感じがして、
何か考えたくなってしまいますね。
今年はどんな年だったか、っていうのはこの間ちょっと考えてみたので
今年最後の「チカラ」では、
来年どんな年にしたいか、というのを考えてみようと思います。
毎年そうなんですが、やっぱり来年も「ラッキー」な年がいいなぁ、と思うわけです。
もちろん、毎日がバラ色、とはいきません。
今年は愛猫の突然死に始まり、日本ではあんなに大変なことが起こり、
そして何人か大切な友達の大切な人たちが逝ってしまいました。
でもその反対に、天にも昇る気持ちになれたときもたくさんあったわけです。
「宇宙の法則」という言葉を使う友人が、何人かいます。
私には他の言葉よりも馴染むので、いつも納得して聞いている言葉です。
私の理解では、「因果応報」だったり「情けは人のためならず」だったり
「カルマ」だったり「人事を尽くして天命を待つ」だったり
いろんな意味がある言葉です。
自分の人生の経路が何かに決められている、というのはあまり心地よくありませんが、
自分がやったことが、いい事にしろ悪い事にしろ
「正当に評価される」というのは、何とも気持ちがいい法則です。
いろんな信仰でも、言い方こそ違え、同じことが言われていると思います。
ものすごく突き詰めて言ってしまえば、たぶんそこにあるのは
「人生最後はツジツマが合うものだ」という救いだと思うのです。
そんな中で「luck=運」をどう考えたらいいのか。
よく「思っていればその通りになる」という、自己啓発的な考え方がありますね。
私は半分賛成で、半分は「足りない」と思っています。
有名なユダヤのジョークで(かのKrumboltz先生も本で紹介していますが)
こんなものがあります。
モイシェという男が、神に「どうぞ宝くじが当たりますように」と一心に祈っていました。
でも3ヶ月経っても当たりません。
モイシェは祈り続けます。
「神様、どうして当ててくださらないのですか?私には家族もいます。このお金が必要なのです』
するとやっと天から声がします。
「モイシェよ、まずは宝くじを買いたまえ」
宝くじを買う、という簡単な最初のステップを、私たちは忘れることがあります。
そして、自分がとるべきステップは、宝くじを買うくらい簡単なものだ、
ということも忘れることがあります。
「思えば叶う」という考え方は、
「思えばその通りにしようと無意識に自分が努力するから」そうなのだと思うのです。
「思う=wishing」だけでは、何も起こらない。
「luck=運」だって、完全な偶然ではない。
自分で「luck=運」を手に入れるには、自分で行動を起こさなくてはならない。
だから来年は、もっと努力しようと思うわけです。
そうしたらもっとラッキーになれる、と思うからです。
皆様、どうぞよいお年をお迎えください。