逝った者たちは死んではいない。それは私たちが生きている限り、明白な事実である(The dead are not dead; that is clear enough since we are alive.)

Alain(アラン)の「幸福論」からです。

私事で恐縮なのですが、この週末で父が逝ってから6年、
つまり今年は七回忌です。
アメリカに住んでいるので、墓前には次回帰ったときに、
ということで許してもらっています。

昔祖母を亡くしたとき・・・
それが初めて親類を亡くすという経験だったのですが、
「世の中には取り返しのつかないことってあるんだな」と
漠然と考えたのを覚えています。

逝ってしまった人を想うとき、悲しい中にも少しだけ清々しい感じが残る・・・
そういう思い出し方をできるといいな、といつも思っています。
でも辛いお別れをすると、それもなかなか叶わぬこともありますよね。
人それぞれの想いがあるんですよね。

・・・私だって、そうはいっても
父に恨み言の一つくらい言いたいときもあるんです(笑)。

アランは続けて
「死者のアドバイスは、その人がもう存在しないという事実によってこそパワフルになる」
といいます。
私たちは自分に近すぎて、自分のことをしっかり見ることができないときがあります。
そこで、私たちは懐かしい人たちに聞きます。

どうしたらいいの?
こんなのでいいの?

彼らの言葉をしっかり聞くことが死者を本当に大切にすることである。
そしてそれによって今生きている自分の「生」が崇まっていくのだ、と。

自分の人生をどうしたら「目一杯生きること(fully developed)」ができるのか。
どうしたら可能な限りの「特上の」人生を歩めるのか。

それは何も肩ひじ張って一分一秒をも無駄にせず過ごすのだ、
ということではないと思います。
「何か」を成し遂げないといけない、
ということでもないと思います。
・・・もしそうだったら結果を出せない「クセ」がある私は困ります(笑)。

そうではなくて、「幸せに過ごす」ってことなんだろうな、と思います。
そしてそれが実は一番大変な努力を要するものなんだろうな、とも思います。

今週末は懐かしい人たちを思い出しながら、
自分がそういう大きな巡り合わせの一部にいることに何となく想いを馳せ、
そして父の大好きな甘納豆を食べようと思います。

父は緑とか黒の小さいのが好きだったかな・・・
それとも白い大きいのが好きだったかな・・・
そんなことを思い出せずにちょっと悲しくなったりしながら。

最後にこちらをぷちっとしていただけると幸いです

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