Mike Myers(マイク・マイヤーズ)の言葉です。
そう、「オースティン・パワーズ」「シュレック」の彼です。
これは有名な「Four Stages of Competence」からの引用ですね。
私は彼の仕事論を聞くのがとても好きです。
彼はリハーサルをしているところを見られるのが、イヤなんだそうです。
だから見えないところで努力する。
見えないところで練習して、さあ、どうだ、と見せたいんだそうです。
彼はいつもおちゃらけているような印象がありますが、
インタビューで時折見せる真面目な顔は、真剣そのものです。
マイク・マイヤーズが引用した「Four Stages of Competence」にはいろいろなバリエーションがありますが、
エッセンスを簡単に言うとこんな感じです。
Unconscious incompetence: 自分がその「スキル」を知らないことも知らず、また知らないことによる不便もあまり感じません。
時にその「スキル」の有用性自体を否定することもあります。
Conscious incompetence:自分が何を知らないか分かっていて、その「スキル」を知る価値については理解しています。
Conscious competence:自分が知っていることを知っていますが、まだエキスパートではないので、用心深く遂行します。
Unconscious competence:もうあまりにプロになってしまったので、寝ていても出来る状態です(笑)。
この考えは元々具体的な「スキル」を会得するための段階として考えられたものですが、
いろいろなものに応用できると思います。
マイク・マイヤーズの言葉も、単に芝居のスキルのみに留まらず、
ある意味「鍛錬」「精進」と行った領域での発言だったと思います。
何かを「知ってる」ということは、小さいときは特に学校の勉強と結びつけられる印象が強く
「知ってる」=「頭がいい」という短絡的な公式ができることがあります。
もしかしたら「知ってる」ことを形で表せるのが、テストの時くらいしかないからかもしれません。
ところが大きくなってからの「よく知ってるね」という言葉の裏には、
単に賞賛だけでない何か別のトーンがその裏に隠されていることがあります。
何ででしょう。
「そんなこと知っててもしょうがないじゃん」
「ガリ勉みたいでかっこ悪い」
・・・そんな風に強がる時期も、確かに誰にもありますよね。
4つのうちどのステージにいても自分が分かっていればいいと私は思うのですが、
「Unconscious incompetence」のステージでちょっと気になるのが
「そのスキルの有用性を否定することがある」というところですね。
ふむ。何ででしょう。
・・・もしかしたら心のどこかで「それを出来た方がいい」と自分が思っているのかもしれません。
そしてそれをできない自分を無意識に守るために、相手を否定するのかもしれません。
その状態は、ちょっと注意信号かな、と思います。
何故なら、自分を守るためにシールドが降りてしまって、
自分のアンテナが閉じてしまう可能性があるからです。
それでも私たちは、ずっと年を重ねても、上の「強がり」をやってしまうことがありますね。
しかたないんですね。でも、気をつけたいですね。
私自身について考えたとき、
「consciously competence」あたりのステージにいたいな、と
漠然と考えていたことに気づきました。
「いろいろ分かっていることも分かってないことも分かってるんですが、
慎重にやらないといけませんな」という段階ですね。
その方がそこに安住せず前進する気分になれるからかもしれません。
皆さんはどうですか?
初めてコメントします。「そのスキルの有用性を否定することがある」のは、イソップの「すっぱいブドウ」かなと思いました。確かに「自分を無意識に守るため」なのかも知れませんが、「努力の放棄」をいいように解釈した結果かなと。
まるさん、
初めまして。コメントありがとうございます。
本当におっしゃる通りですね。
状況を自分にとって合理的に(「いいように」)解釈して「努力の放棄」を正当化することで、その状況を切り抜けられますね。
ありがとうございます。
・・・「すっぱいブドウ」!懐かしく思い出しました。
またお寄りくださいませ。
えーと、カモコかなと思ったんですが、違いますか?
あ、ごめんなさい!お名前が分からずに・・・はい。私カモコです(笑)。
もしよろしかったらメールください!(masako@jibunnochikara.com)。