穏やかで無垢になるために必要なもの、それは離脱である(He who would be serene and pure needs but one thing, detachment. )

Meister Eckhart の言葉です。

もともと格言集はよく読んでいましたが、
ある事柄が時間を越えて、国境を越えて
いろいろな表現で語られているのを見ると感動を覚えます。
「みんな考えることは同じ」という喜びでしょうか。

もちろん、その国、信仰、文化などによって細かい解釈は違うのかもしれません。
でも受け取る私たちにしてみれば、出発点が何であるにせよ、
その宗教的、文化的な意味に違いがあるにせよ、
とある真実を目の前につきつけてくれることがあります。
それでいいと思うのです。
何でそう言っているか、ではなく、何を届けるか。
そして何を受け止められるかは、私次第だと思うのです。
だから、名言。

 

 
「断捨離」という、私にとっては恐怖以外の何モノでもない考え方が
日本で非常にブームになったのは、さすがに今浦島の私も知っていました。
私はpack rat(収集癖がある人)でマテリアルワールドにどっぷり浸かっているので
私のアパートはモノであふれています。
しかも私は収納下手。
次にまた使うと分かっているものをしまい込む意味が分からないのです(笑)。
だから私の家ではモノがあふれ、露出しています。・・・捨てられません。

「断捨離」もEckhart の言葉も、実際にもの捨てることだけを言っているのではなく
執着」の対極にある状態を示しているのだと思います。
それについては、世界中でこれまで、いろんな人がいろんなことを教えてくれました。
老子先生だってフランチェスコ会だってヨガだって、
みんながそれぞれの言葉で教えてくれました。

よくスピリチュアルなお話の中でも
「何かを捨てると新しいものが入ってくる余裕ができて人生が変わる」
というようなことが言われることがあります。

なるほど、と思います。
考えてみれば確かに、自分という人間が抱えうる容量には
物理的にも精神的にも限界がある、というのはうなずけます。

「断捨離」はある意味「行動療法(Behavioral Therapy)」のひとつなんだろうと想像します。
「執着を捨てました!」と宣言しても、それを実感するのはなかなか難しい。
だからそれを「体験してみる」という意味もあるんだろうな、と思います。
そしてその行動がいつか内面化される。
モノがあるからといって決して執着しているわけではないのでしょうが、
モノがあると執着を生みやすくなる、ということでしょうか。

そして最後に目指すは、「離」。離脱なんですね。

「執着」については少し「Familiarity Breeds」でも触れましたが、
自分の生活のある部分から脱却するのは、相当チカラが要ります。
脱却するタイミングも、難しいです。
しかも「そうしたほうがいい」「そうしなくちゃ」と思っているアタマと
「でもできない・・・」と苦しんでいるココロのハザマで、揺れます。

焦らない。

目的を見失ってはいけないんですよね。
「捨てる」という行為が目的なのではなく、
「捨てる」という行為が表している精神状態を手に入れる、ということが目的です。
だから「捨てられない」ことを悩むのではなく
「どうして捨てられないか」を考えなくてはなりません。
何を恐れているのでしょう。
何に執着しているのでしょう。
「捨てる」ことが、執着を捨てるために必要ですか?
捨てなくても、心に区切りをつけられますか?

時には友達に来てもらって、どかっ、と捨ててもらう、というのも有効ですね(笑)。
そうは思っても私は今日も「整理と整頓は違う!」という昔聞いた言葉にすがって
モノにあふれた世界で生きています。

最後にこちらをぷちっとしていただけると幸いです

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