自分が何者であるかに固執しなければ、自分がなり得る最高の自分になれる(When I let go of what I am, I become what I might be.)

Lao Tzu、老子の言葉です。
自分は、何者なんだろう。
年を重ねれば年を重ねるほど、いろいろな「自分」ができてきます。
家での自分。会社の自分。友達といるときの自分。一人でいるときの自分。
多分、どれも本当の自分なんでしょう。

時には「オレは、ワタシは、いつも一緒」とおっしゃる方がいますが、
羨ましいと同時に、ホントかな、と思うこともあります。

大人になると面倒なもので
「本当の自分」だけではなく「なりたい自分」、「なった方がラクな自分」、
「ならざるを得ない自分」など、いろんな自分が増えていきます。
最近増殖して複雑化するパスワードのような、たくさんの情報を扱うのが苦手な私でも、
恐らく三通りくらいの自分はありそうです。

でも、どれも、自分。どれも、自然。

・・・どれも本当の自分で、自分にあらず。
萬斎さんではないですが、「ややこしや〜。ややこしや〜。」

社会的な動物である私たちは、多かれ少なかれ、そういう面倒さの中で生きています。
辛いのは、「今の私は私じゃない!」と
「本当の自分」がむくむくと頭をもたげるような心持ちがするときです。

ここで問うべき問題は「『本当の自分』って、何?」。
現状に不満があるときは「こんなはずじゃ・・・」という思いとともに
「今の自分」に対する不満が育ちます。
それは、「今の自分」でいる「自分」への腹立ちであったり
「今の自分」でいることを強いている環境だったりします。

つまりその不満は「『今の自分』であること」に対して向けられているのであり
「『本当の自分』ではないこと」に対して、ではない場合があるのです。
だから、もやもや。イライラ。うじうじ。

でも「本当の自分」とここで言われているのは
その実「自分がなりたい自分」である場合が多くあります。

以前も出てきたテーマでもありますが、
私たちは、なかなか現状を変えるのが難しい生き物です。

いえ、それは正しくないですね。

「現状を変えるのが難しい」のではなく
現状を維持するのがうまい」生き物なのでしょう。
つまり、変えようと思えば変えられるかもしれない。
「今の自分」がいやなら「他の自分」になればいい。
でもなかなか。

誰かが「今のあなたでいてください」と頼んでいるわけではありません。
自分がその時おかれた状況からして、その「自分」が
一番効率的であったり
理にかなっていたり
周囲に迷惑かけなかったり
そして総合するといろんな意味で「ラク」だったりするわけです。
そして、自分でそれを選択しているのです。

自分がある程度の地位や実績などといったものを得てきた場合も
そういうことがあります。
それを手放したり失うような危険は避けたい。
あるいは、もうここまで手にしたのだからいいだろう。今さら・・・
いろいろな思いで現状を維持しようとします。
自分で自分を制限するんですね。

それで「満足」なら、悩む必要はないのです。
満足できれば、本当に素晴らしいと思います。

それなのに人間の欲求というものは止めどなく、
さらに、さらに「今持っていないもの」へのあこがれとともに
私たちを苛むことがあります。

私たちが前進するときには
虫が脱皮するのと同様、何かを脱ぎ捨てないといけないときがあります。
固執しない。脱ぎ捨てよう。
でも脱ぎ捨てるといっても、本当に「捨てる」わけではありません。
「着替える」んですね。
人生は「試着」というのが難しく、
基本的には返品不可の着替えであることが多いので、
そのプロセスにはちょっとしたチカラがいります。

自分で気に入った服を見つけたのなら、その服を楽しめばいいと思います。
でもちょっと着替えたくなったら、
勇気を出してタンスの中身を入れ替えることも、
しばしば必要になってくると思います。

最後にこちらをぷちっとしていただけると幸いです

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