・・・お恥ずかしい限りでございます。
私が思っていることです。
きっとどなたか賢人が先に仰っていると思うのですが、
ぴたりとした名言を見つけられなかったので、そのまま書いてしまいます。
人の才能や人柄や・・・いえ、そんな次元の話ではなく、
「その人が在る」ということ自体に「ホレて」しまったとき、
息ができなくなるくらいの一撃を脳天に喰らうことがあります。
それは幼い頃のほのかな恋心とは違い
理不尽に私たちの感性をひっつかみ、ねじり、震えさせます.
世の中には「Motivational speaking」のようなものがあります。
その効用にはものすごいものがあって、
だからこそそれがたくさんの人を力づけているのだと思います。
Tony RobbinsもOprahも、たくさんの人を勇気づけてきました。
それでも私は何となく馴染めないところがありました。
人が何かを言って、それがある人にとって動機付けになる、というのは、
何となく「結果論」であるべきだと思っているからかもしれません。
「動かしてやろう」として動くものではない。
人間ってそういうものでもあると思うのです。
動物に向き合うとき、
動物を怖がっていると動物もあなたを怖がり、
時にはそのために攻撃する場合もある、とよく言われます。
They can smell your fear.
そういう言い方が英語でもあります。
人間関係でも同じようなことがあります。
あるプロジェクトで、何故かなかなか部下を動かせない。
・・・考えてみれば私もやりたくなかった。
パーティでなかなか人が寄ってこない。
・・・考えてみれば寄って来てほしくなかった。
いろいろありますね。
よく「○○オーラが出てた」といいますが、そういうことなんでしょうね。
反対に「扇動」の天才たちがいます。
「愚かなる大衆」である私たちはその人たちの術中にはまって
いとも簡単に流されることがあります。
でもこういった「扇動」からは目が覚めてしまうことがあります。
目の前でその虚構が崩れたとき、
はっと我に返り離反する人たちがいます。
熱情に裏打ちされた「存在」には、
そんな恣意的なものはありません。
人を感動させようとか、人から褒められようとか
そういった意志はそこにはありません。
ただ、好き。
ただ、楽しい。
もう、どうにも止まらない。
その精神の躍動は、とても伝染しやすいものです。
その衝撃たるや、凄まじいものがあります。
その躍動に打たれたこちらの心も、大きく踊ります。
その波に乗ると、参加したくなります。手を貸したくなります。
・・・結果として、動かそうとしていないのに、人を動かしてしまうんですね。
しかしだからと言って、その躍動の波には
誰でも乗れるというものでもありません。
受け取る側にも、延びたアンテナと開いた心が必要です。
世の中では、いろんなところで、大小の躍動の波が起こっています。
その波を探知し、乗れるように、
いつでもこちらもスタンバイしていたいものだ、と思うのです。