戦いそれ自体が面白いのだ。勝利ではない。(It is the fight alone that pleases us, not the victory.)

Blaise Pascal、パスカルの言葉です。
「パスカルの定理」っていうのが、ありましたね・・・何でしたっけ?

以前モチベーションについて考えたときに
「内因性(intrinsic)」「外因性(extrinsic)」についてみてみました。
この言葉は、明らかに「内因性」の匂いがするのですが、
でも「外因性」の方にもあてはまらないわけではありません。

何かにパッションを注ぐことができたとき、
人は結果とともに、あるいは結果よりも
その過程を楽しむようになるのかもしれません。

でも確かに、「じゃんけん」などは結果が大切かもしれません。
勝たないと、手を挙げてふり下げる過程に意義を見いだすのは、
ちと辛い・・・かな?

「戦い」といっても何も武器を取って「やあやあ、我こそは・・・」というものではなく、
日々の生活の中で私たちが直面するもの、
その様々なことが「戦い」だと思います。

「戦い」とか「挑戦」というと
ついその先にある「勝利」「制覇」や「達成」が注目され
それをもって敬遠する人たちがいます。
確かにそのコンテクスト(文脈)でいうと、
ちょっとアグレッシブにならなくてはいけなかったり
かなり頑張らなくてはいけなかったり
・・・・なんだか分からないけれど「だ~~~~っ」という勢いがないと
できないもののような気がしてしまいます。

でも、私たちの生活は静かな「戦い」で満ちています。
それは外部のものに対してだけでなく、
いえ、本当はつきつめてしまうと、
自分との戦いが主ではないでしょうか。

自分の弱さについて。
自分のいい加減さについて。
自分の勝手さについいて。
自分の汚らしさについて。
自分のうぬぼれについて。

でもそんなものに毎日相対していては憔悴してしまいますので、
私たちはその結果として生まれた事象を相手に仕立てて腹を立て、
戦いを挑んでしまうことになります。

相手があると、勝ち負けが気になります。
だから勝たなければ意味がない、という方もいます。

でも勝っても負けても、その経験は単に通過点である、
という考え方もあるわけです。
どのような経験も、通過点である。
そうすると、その戦いの過程も、結果も、足跡のほんの一点でしかありません。
それが自分との戦いであれば尚更です。

パスカルのこの言葉を考えるとき私は、
この「戦い」という言葉は
一つ一つの「戦い」を指すだけではないな、と思うのです。
「人生」が一つの、気の遠くなるような長い長い「戦い」。
その結果は、当の本人はあの世におりますのでもう分かりません。
その過程しか分からないし、その過程をどう過ごすのかは、
私たちに託されています。

それならば、面白いものにしたい。楽しみたい。
そして、そう思うからこそ、後悔したり、くじけたりする。
そして、自分を奮い立たせる。
そして、戦友に、出会う。
・・・そんな毎日を愛しいと思うのです。

今日も明日も、戦いの火蓋は、切って落とされます。
いざ。出陣。

最後にこちらをぷちっとしていただけると幸いです

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