きちんと感謝することによって、その人の素晴らしさを自分のものにすることができる(By appreciation, we make excellence in others our own property.)

Voltaireの言葉です。

何回かご登場いただいている仙厓さんに、こんな逸話があります。
仙厓さんを尊敬してやまない素麺屋の素久さん、
仕事熱心でまっすぐな性格。
仙厓さんの好物の牡丹餅を作ったのですが
温かいうちに食べていただこうと、
粉だらけの仕事着でとりもなおさず駆けつけました。
迎えた仙厓さん、もちろん喜んだのですが、奥に引っ込み、
わざわざ法衣に着替えて、恭しく丁重に受け取ったそうです。
いぶかる素久さんに仙厓さん、
「あんたが仕事着ば着て粉だらけで来なざったけん、
あたきも商売道具の法衣ば着ておうけせにゃ、罰があたる。」*

*石村善右 「仙厓百話」(石風社)より

もちろん、この逸話の受け取り方はいろいろあって
「せっかく温かいうちに、って持ってきてくれたんだから
すぐ食べればいいのに」という方もいるでしょう。
でも仙厓さんは、仕事人として来てくれた素久さんに
きちんと仕事人として相対し、
精一杯誠意を見せたかったのだろうと私は思いました。
そういうものをまっすぐ見て評価できて
そして応えられるって素晴らしいな、と思いました。

形は人を作ります
「きちんとした」格好をすることは、
社会的にも求められていますし、
そしてそれは相手への敬意ゆえ、求められていることがあります。
そして、ある「ユニフォーム」を着るときに
その「精神」も「技術」も一緒に纏うことができるわけです。

そしてその「ユニフォーム」を着ていれば、みんなが認めてくれる。
この人は、「そう」いう人なんだ、と。

でもそれは「ユニフォーム」さえ着れば「そう」なれる、
ということではないんですね。

そして特に仕事の必要性からでなく、
実用を離れ、ただ社会的に求められている「ユニフォーム」もあります。
私はそれがとても苦手で、
会社員となってからも何度か先輩や上司に
ご心配をかけてしまいました(笑)。

中身が「ユニフォーム」を超えるとき、
「ユニフォーム」はあってもなくても関係なくなります。
そんな「型」を纏わずとも、
自分自身がその「型」となれる

「人のお宅にお邪魔するとき、しかも相手が高僧であれば
それなりの衣服を身に纏って行くべし」
これを超えてしまった素久さんと、
それを敬意を評して迎えた仙厓和尚。
何ともカッコいいなぁ、と思った次第です。

最後にこちらをぷちっとしていただけると幸いです

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きちんと感謝することによって、その人の素晴らしさを自分のものにすることができる(By appreciation, we make excellence in others our own property.)」への2件のフィードバック

  1. 自信のなさからか、きちんと相対できるということは、素晴らしいと思います。
    うれしい気持ちも、曖昧につたわると、誤解も生まれます。こっちもびっくりするような、ことをいったと、(後で聞いてびっくりです)
    おもいっきりおこられることも・・・・・

    • 匿名様
      コメントありがとうございます。
      本当にそうですよね。
      伝えたい事が伝わらないと、ひやっとします。
      私も「自分語」がたくさんあるので、相手の顔が「??」だらけになることがあります。
      発信する側と、受信する側。両方がうまく合わないといけないところもあるのかもしれません。
      コミュニケーションは双方向だと思うので、どちらか一方の責任ではないと思うんですが、どうしても発言者の方が分が悪くなってしまうのは困ったものです・・・

コメント

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