現代に生きる我々は、これまで以上に生きる方法はいろいろと手に入れたが、生きる意味は全く知らない。(Ever more people today have the means to live, but no meaning to live for.)

VIctor Frankl(ビクトール・フランケル)の言葉です。

またまた仙厓さんのお話をさせてください。
「仙厓百話」からです。 本当に好きです、この和尚さん(笑)。

ある日仙厓さんのところに来た人が聞きました。
「世の中いろいろと教えがありますが、
一体どれが一番ありがたい お宗旨なんでしょうか。」
聞かれた仙厓さん、
「そうじゃな、羅宗じゃな。」
「それは聞いた事ございませんが・・・?」
「親は親「らしゅう」、子は子「らしゅう」、
坊主は坊主「らしゅう」、 町人は町人「らしゅう」
・・・どうじゃな?まだ悟れんかな?」

・・・はい。座布団一枚。

仙厓さん、ただ単に「自分に与えられたものに甘んじて生きろ」
と仰っているのではないと思います。
自分がいる場所にしっかり立つ
自分の生業に精進する。
自分に与えられた仕事を、ただ一所懸命きちんと遂行する。
その人「らしゅう」、きちん、きちんと。
その職業「らしゅう」、きちん、きちんと。
それが「らしゅう」生きること。

「あんたはそれでも○○か〜っ?!」「恥ずかしくないのか〜っ?!」
と怒鳴りたくなるような人が、自分も含めてよくいますが、
こういう人たちは「らしゅう」ないんですね。

では何故フランケルと仙厓さんなのか。

フランケルはその著作の中で、
人間が生きる意味を見いだす三つの価値について話しています。
創造価値」「体験価値」そして「態度価値」です。
その一番目、「創造価値」。
人間は何かを作り出すことによって
生きる意味を見いだすきっかけをつかめる
、 というのです。
それは目に見えるモノでなくてもいいのです。
自分に与えられたtaskを通じて得られる価値です。

名作「生徒諸君!」で、 ナッキーの妹マールが死の淵に立ちながらも、
必死でナッキーのセーターを編みます。
編むまでは、逝けない。
編むことが、生きるチカラになっている。
・・・これも一つの「創造価値」のカタチだと私は思います。

目の前に提示されたものに全力であたる。
満足することがなく、常に何となく不満だったり不安だったり
そんなことが多い私たちには忘れがちなことかもしれません。

いろいろな方とお話ししていると
「自分が何がしたいか」を探している方が多くいる事に気がつきます。
もちろん、それは大切なことですね。
自分がやりたい事が分かれば、何だかエネルギーを注げる気もします。
だから、私もまずはそんなところからお話を伺うことが多いです。
でももしかしたら、幸せはそこだけにあるのではなく
「どうやって」物事に向き合うか
「どうやって」物事に意味を持たせるか
ということにも関わっているのかもしれません。

選択する自由と贅沢のなかったフランケルの言葉は、
あまりにもシンプルであるが故に、私たちをハッとさせます。
あなたは、自分の人生に最善を尽くしていますか?
そのあたりまでクライアントと一緒に歩いていけたらいいな、と思いつつ、
・・・私が尽くしてないんですから、まだまだ修行中です(笑)。

最後にこちらをぷちっとしていただけると幸いです

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