舞台「女教師は二度抱かれた」から、天久六郎の言葉です。
よく、「人が一生に得られる幸せの量は決まってる」
という人がいます。
そうだといいな、と思います。
だから若いときに苦労すると、後で幸せになれる。
でも自分が辛いとき、
自分がそれほど認めていない人間が幸せに見えるとき
人はまたその不公平を嘆き、怨みます。
なんであんなヤツがたくさん幸せ享受してるんだ。
私は個人的には「幸せの量は決まっている」とは思わないのですが
でも、その考え方によって
助けられるときは確かにあるなあ、とは思っています。
「幸せ」は、やっぱり自分が「幸せ」と認定するものだと思います。
つまり「幸せでしょ」と人に言われても、
自分がそう思っていなければ
そこには「幸せ」はないのではないか、と思うのです。
「そんなの当たり前じゃん」、と思われましたか?
ところがその「当たり前」が、
見えなくなってしまうことが 私たちには多々あります。
自分の「幸せ」は、人にも「幸せ」と見えた方が ラクなことがあります。
また人の「幸せ」は、自分にも「幸せ」なのだと
思ってしまうこともあります。
だから人は「もっともっと」と、常に何かを追い求めます。
でも手に入らないことが多いので、不満になるのですね。
自分で自分の状況を「幸せ」と認定するのも、
大切なチカラだと思います。
そして願わくば、それを理解してサポートしてくれる
家族やお友達がいると、 なおチカラ強いものです。
そしてそういう助けを借りながら、
ブレずに自分の「幸せ」を噛み締める。
きっと今まで見過ごしていた「幸せ」に気づける気がするのです。
あなたにとって「幸せ」ってなんですか?