人はね、「ここぞ」というときには、何にも言わないの。

古畑任三郎シリーズより、「偽善の報酬」の犯人、
佐々木高代の言葉です。

売れっ子脚本家である彼女の犯行を見破り
「もしこれがドラマでしたら、先生でしたらどんなセリフで幕を閉じますか?」
と聞く古畑任三郎に、彼女がいう言葉なのです。

彼女はこうも言っています。「今のドラマはね、話し過ぎよ」
・・・おっしゃる通り。

 

日頃いろいろな方とお話していると、
「もう悔しくて悔しくて、何とか復讐したい人がいる」とか
一発でも殴れるとすっとするんだけど」といったような
お話を伺うことがあります。

ありますね、そういうこと。

ああ、あのときにこう言ってやればよかった。
あのときにこうしてやれば、貶めてやれたのに。
みんなの前で、暴露してやればよかった。

あります。あります。
「私はそういうこと一度もない」という方がいらっしゃったら、
本当に羨ましく思います。そういう人生、本当に大切になさってください。

でも大多数の方が経験しているこの感覚。
もちろん、本当に殴ってしまったら大人げない。
いや、子供でも、そうやって暴力にて即座に反応することは
やはり薦められません。

でも「腹の虫」は収まらない。
一矢報いてやりたい。

・・・こんな強い感情を抑えるのは、容易ではありません。
また、私はあまり健康的でもないな、と思います。

私自身は、と言えば、「我慢しません」。
でももちろん、その場では言いません。
本当に怒ったら、本当に何か言いたかったら、すぐに言わずにぐっとこらえてみる。

そして通勤途中の車の中で、シャワーの中で、
言いたいこと全部、そこにいない「相手」に言ってやります。
時には言い直したりして(英語であることが多いので、校正が必要なのです・・・笑)
「お、今のシビレる」などと思いながら、相手を「とっちめて」やります。
あるいは、自分が「安全」でいられる家族や友達の中で、
包み隠さず話してみます。恥ずかしいのをこらえて、ごまかさずに、話してみます。
以前「The Empty-Chair Technique」というGestaltの手法をお話しましたが、
あれにも同じ効果があります。

自分の「考え」を言ったり、書いたりすると
その「考え」が、自分の頭の中だけではなく、「現実に存在する」ようになります。
その時初めて、自分とその「考え」との間に、ちょっとした微妙な距離ができます。
初めて「客観的に」その「考え」を見るチャンスができる瞬間です。
その瞬間を逃さず、自分が言いたい事を客観的に見てみる。

何だか言うだけで満足することもあります。
端から見てみたら、何だかバカバカしく見えてくるものもあると思います。

そうしたら、言い捨て、ポイ。
その場で捨ててしまいましょう。

それでも、どうしても残るものもあります。
言わずには、いられない。

もしそうであるなら、伝え方を考えましょう。この場合は一人じゃない方が、いいです。
役者さんがよく言うように、「It’s all in the delivery」。
どんなに言う内容が正しくても、どんなに意図が正しくても
伝え方を間違ってしまったら、台無しだからです。
そして、キチンと伝える。
何故なら、このときの目的は「キチンと伝えること」であり「復讐」ではないからです。

それにしても、なんで心ないことを言う人がたくさんいるんでしょう。
いやだいやだ。
でもそんなと人たちと同じレベルに堕ちるのは、もっともっといやですね。

最後にこちらをぷちっとしていただけると幸いです

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