ご存じマクベスから、マクベス夫人の言葉です。
お〜、コワいコワい(笑)。
星新一さんだったか・・・どなたかの短編小説で、
幼い頃にぞわ〜〜〜っとしながら何度も読んだものがありました。
ごめんなさい、題名も忘れてしまいました・・・・
でもそのぞわ〜〜〜だけ、今も鮮明に覚えているのです。
ある町で、主人公は銀行だかどこだかにいます。
この町は不思議な町で、みんなが「田中さん」という名前なのです。
銀行で次々に呼ばれる名前・・・
「次にお待ちの田中さん」
「田中さん、どうぞ」
主人公は「???」となります。
そしてその次に主人公が呼ばれます。
「中村さん」
・・・途端にざっ、と銀行中の人が「中村さん」の方を見るのです。
(「中村さん」だったかは不明なのですが、「田中さん」ではありませんでした)。
その光景を瞬時に頭の中で見てしまって、震え上がりました。
非難するでも、攻撃するでもないのです。
ただ、見る。
・・・コワいです・・・
何か野心を秘めた人は、それを表には出しません。
ポーカーフェース、というものでしょうか。
素知らぬ顔をして計画を進め、そのときがくれば迷いなく実行。
その後は涼しい顔をしてその成功の美酒に浸ります。
でも普段はみんなと同じ顔をしているから、
だから余計にコワいものです。
「欺く」というほどの積極的なものでないにしろ、
みんなと同じ顔をして潜んでいる人はたくさんいます。
そして私たちはみな、そういう消極的な理由で「潜伏する時間」を
必ずと言っていいほど持っています。
目立ちたくないとき、私たちはみんなと同じ顔をします。
みんなと違う顔をするのは、とてもとても勇気がいるからです。
違う顔はめざとく見つけられます。
「あ、お前違うなっ」
この言葉には賞賛と軽蔑、そして受容と排除といった目盛りを持つ秤の
どこかに位置する気持ちがあります。
中学校や高校などで、特に女子だった方は思い出してください。
仲間に入るために何となく合わせてしまった自分。
孤高の「変な子」を排除したり、あるいはちょっと羨ましく思ったりした自分。
そんな複雑な思いはありませんでしたか?
でも実のところ、私たちはみな違う顔をしています。
同じ顔をしているように見せかけて、それはただの「お面」です。
その「お面」はつけなくてはいけないものでもないし
外さなくてはいけないお面でもない、と思います。
ただ、ずっと着けていると、映画「マスク」のように
顔にビッタリ張り付いてしまうかもしれません。
取れなくなってしまうかもしれません。
そうしたら、その「お面」があなたを乗っ取ってしまうかもしれません。
「それでいい」、ならいいのです。
でももし「お面」を窮屈だな、と持っているなら、
時々取って顔の筋肉をほぐしましょう。