田山涼成さんが引用されていたのですが、つかこうへいさんの言葉だそうです。
お芝居の批評などで「主役の○○、好演」とか「××の熱演が芝居を動かしていた」
などと書かれることがありますが、
それは、他にいいところがないからだ、と田山さんはいいます。
「熱演」していることがバレてしまったら、
それは役者の力量不足なのではないか、ということでしょうか。
本当に優れた役者は演じていることすら観客に忘れさせてしまう、
ということでしょうか。
私は「熱演」が悪いことだなんてもちろん思いません。
でも、役者さんの世界はきっとこんな言葉が沁みるくらいに
厳しい世界なんだろうな、というのも何となく分かります。
そしてきっと、役者さんの世界ではなくても
こんな言葉が沁みるときがあるのでは、と
この言葉を読んで思ったのです。
一所懸命やるのは悪い事ではなく、むしろ賞賛されてもいいことでしょう。
でも問題は一所懸命やることが、
一体誰に価値のあることなのか、という点です。
お芝居好きの私はよく舞台を観に行きますが、
時折役者さんの「熱演」が「鼻につく」ときがあります。
それはきっと演じている向こう側の
「熱意の押しつけ」であったり
「あざとさ」であったりを
つい嗅ぎ取ってしまうからかもしれません。
その途端に、舞台と自分の距離がどん、と開きます。
いわゆる「どん引き」です。
それと同じように
相手の反応を見越して、半ば強制的にその反応を引き出すような
そんな働きかけに対して、
私たちは敏感に反応し、嫌悪感を示すのかもしれません。
何かをするには
もちろん綿密な計算とある程度の予測と
そしてある種の「あざとさ」が必要なときがあります。
でもその「あざとさ」は「小聡明さ」。
ちょっとだけ聡明なんです。
大きく聡明じゃないんですね(笑)。
ある程度の準備をしたら、
結局最後はその人の真摯な態度から生まれる
人間力だけの勝負なのかもしれません。
私たちは、どんな仕事であれ必ず最後は「人間相手」。
すぐバレてしまうような小細工ではなく
揺るぎない信念で向き合いたいものです。
・・・「私の仕事は動物相手だもん」と思った方。
気をつけてください。
動物はもっと敏感かもしれません(笑)。
こんばんは。すごい、きびしいですねぇ。でも、、そうですね。自分の一生懸命なのをおしつけていないか!
考え中・・・・・・・です。。
厳しかったですか(笑)。
そうですよね・・・一所懸命なのはいいことですもんね。
でもちょっとした牽制機能があるのも、いいかな、とも思います。