石に布団は着せられもせず。

親というものは、何ともありがたくて、口うるさくて(笑)、尊い存在です。

私は昔母に、とんでもないことを言ったことがあります。
きっとひどく母を傷つけたと思います。
謝りたいのですが、何となくまた思い出させるのもイヤで、
でも謝りたくて、
いつも心で手を合わせています。
・・・それに謝りたいのはその1回だけじゃないんです(笑)。

どうやったら親の愛に答えられるのでしょう。
・・・うちの親にはいつも言われます。
「あんたが楽しそうに生きていること」。

 

 
子供が最初に出会うことができる支えの構造は、やはり「家族」です。
家族のあり方はいろいろで
いいとか悪いとかそういったものを超えて
私たちを支え、育むものです。

また一方で、問題のない家族などほとんどなく
いえ、「問題」というほどのモノでもなくても、
文句の一つや二つ言いたい時もたくさんあると思います。

カウンセリングをしていると、この「家族」や「親」との関わり方が
キーポイントになっていることがたくさんあります。
でもここで勘違いしてはいけないのは、
そこに公式はない、ということです。

もちろん「こうしたら良くはないよね」というparenting(子育て)はあります。
また「こうした方がいいかも」というparentingもあります。
それでも、同じ育てられ方をしても、皆が同じように育つ訳ではないんですよね。
それに加えて、家族や親だけが問題の原因でもない、ということも真実です。

そしてもちろん、世の中には、家族がいなかったり、
親やお子さんがいらっしゃらなかったり
そういう方もたくさんいらっしゃるわけです。

ただ、何か問題があった場合に帰れる場所。
Home。
以前も書きましたが、
そういうものを持っている人は、最後の最後、
踏ん張り感が違う感じがします。

誰かが自分を信用してくれている。
誰かが自分をそのまま受け入れてくれる。
誰かが自分の弱点を知ってくれている。
誰かが自分の一番ステキなところを知ってくれている。
親かもしれない。兄弟姉妹かもしれない。伴侶かもしれない。友だちかもしれない。

誰にも、いろいろな形のhomeがあり、
誰もが誰かの、いろいろな形のhomeになっているのだと思います。
だから、私もいつか誰かのhomeになりたいと思います。

今日は父が逝ってしまった日ですので、
family complexの私は(笑)、また家族=homeについて考えてみました。

最後にこちらをぷちっとしていただけると幸いです

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