一番小さなことでも満足できる人が一番裕福である。何故なら満足を感じることが自然が与えてくれる富だからだ(He is richest who is content with the least, for content is the wealth of nature.)

Socratesの言葉です。

この間子供を産んでから病院で休んでいた友人に
日本食ストアで何か買って帰りに届けようと思い立ち
「何が欲しいか連絡してね」とお願いしておきました。

私が仕事が終わる時間が来ても連絡がないので、
昼寝でもしているのかなぁと思い、
とりあえず手当たり次第つかんで(笑)届けました。

 
もちろん、折角持って行くなら、
欲しいものを持って行った方がよいのでしょう。
それでも私はあまり悩んだり心配することなく
買い物をして帰りました。

そのときふと気づいたのです。
私はその友人がいつも何でも心から喜んでくれるのを知っているので、
だから、私が考えて買っていったものを文句なく受け取ってくれる、と
自分が安心していることに。

人にはいろいろなタイプがいます。
その要望の度合いも、そうです。

例えば、
「自分が置かれている状況の中で得られるベストで満足する人」と、
「自分が置かれている状況に関係なく常に自分の考えるベストを求める人」。

どちらがいいとか悪いとかではありません。

もしかしたら、前者の方が満足できる確率は高いかもしれません。
つまり、その状況によって「ベスト」が変わり、
そこで得られる「ベスト」をappreciate(正当に評価)して
それによる満足を得られることができるからです。

では後者の方が生きにくいか、というと
そんなことはもちろんありません。
何を得たいか明らかに知っているために、
何かを得ようとする強いエネルギーを持っている人も
そしてその結果、どんな境遇にいてもそれを手に入れる人も
たくさんいらっしゃいます。

自分のパターンを知ることは大切ですし
自分の周りの人のパターンを知ることも大切ですね。

それでも、その要望が自分のチカラではどうしようもない場合
誰かの好意によってその要望が満たされる場合
そういう場合は、自分の要望の度合いには関係なく
それを受け取れる自分の幸運をただ感謝することが
自分の幸せにつながるときもあります。

なかなか欲しいものが手に入らない私たちの日々。
もし辛いときには少し見方を変えて、
いろいろな「ベスト」を模索してみるといいかもしれません。

・・・そんなことを考えていたら
たまにしか会えない孫娘のつたない料理を
「他人様が作ってくれただけでお御馳走」と
手を合わせて食べていた祖母を、ちょっと思い出しました。

最後にこちらをぷちっとしていただけると幸いです

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