友人が気づかせてくれた言葉です(ありがとう、Gくん!)。
「冷めている」のと「大人びている」のは違います。
「無関心」と「不干渉」は違います。
「あきらめ」と「達観」は、違うのです。
でも何だかそれらがあいまいなままになっているような気がします。
あくまで私の経験を通じて、なのですが、
何となく周りとの距離がとれない方がたくさんいるように思います。
「周りとの距離がとれない」というと
どちらかというと近づきすぎる場合への警告のように聞こえますが
それだけではありません。
「近づくことを知らない」ことも含まれます。
いろいろな理由や背景があると思います。
でもそれがどんな理由にせよ
近づいてから自分で距離を模索していく過程の大切さが
何となく失われているような気がしています。
だから、程度が分からない。
だから、周りのことが全く見えていない。
だから、自分の位置も分からない。
そして、何も「自分のモノ」にならない。
そんな中で、それでも休み無く自分に向かってくる情報や事態に
その場しのぎで対処してみる。
だから疲れるし、失敗も多くなるし、余計な時間もかかるし。
そして結局は自分の血とし肉とする過程に、たどりつかない。
私が関わっているアスペルガー症候群、多動症などの診断をもつ方々のグループでは
そういった「人との距離のとり方」を勉強していきます。
まずは「スキル」として理解して行く過程が、必要なのです。
でも、いつも思います。
ああ、こういうことは、別にこのグループじゃなくても、経験することあるなぁ。
ああ、私もこういうこと、してしまうなぁ(笑)。
いつもアツ苦しく突っ込んで行く必要もないのですが
mind you, 一時期そういう時期があってもいいとおもいますが
でもとにかく、自分の「目」を通して物事に対する、
そういう態度を示したいと思っています。