「僕の背中は自分が 思うより正直かい」
ご存知槇原敬之さんの「どんなときも」ですね。
いろいろな方とお話していると
やはり「他人の目」というものから本当に逃れるのは
難しいな、と感じます。
また完全に逃れるべきものかどうかも、分からなくなります。
ロビンソン・クルーソーでもない限り、
いえ、彼ですらフライデーがおりましたし、
人間は完全に一人で生きる状態にいることは難しいようです。
「他人の目」は自分の行動に対して新しい視点を与えてくれたり
牽制したりしてくれますから
決して悪いことだけではありません。
「他人の目」を完全になくしてしまうと
いわゆる「KY」になったり「不遜」な態度になります。
だから「離見の見」なのですね。
でも逆に「他人の目」が「自分の目」に取って代わると
ちょっと面倒です。
取って代わられた「自分の目」は完全になくなるわけではなく
「他人の目」の後ろで、おろおろしながら見ています。
結局は「バランス」だ、と
まとめてしまうのは簡単なのですが
それができれば苦労しません。
「他人の目」を意識しながら「自分の目」も失わない。
「自分の目」を信じながら「他人の目」にも見てもらう。
今私はどっちの目で見てるんだろう。
どちらかの目をつぶってしまっていないかしら。
そんなことを考える努力からなら
始められるかもしれません。