新聞に載っていた有栖川有栖さんの記事を見て救われました(笑)。
私は小さい時作文が大好きで、物語を書いたり感想文を書いたり
宿題ではないのによくやっておりました。
小さい時は身体がとても弱かったので
ある意味それが私にできる「遊び」だったところがあります。
朝日小学生新聞に「サンタになった神様」という短編を載せていただいたり
読書感想文コンクールや交通安全コンクールでよく賞をいただきました。
残念ながら私の家族がそういったものに執着がございませんので
メダルや賞状がすべて捨てられていましたが(笑)
何故救われたかと申しますと
そのうちの一つ、
区立小学校に行っておりました時に書いて金賞をいただいた交通安全の作文。
臨場感あふれる交通事故の描写を褒めていただいたあの作文。
はい、そうです。すべて創作です(笑)。
それと同じことが有栖川さんにも起こったようで、何となくほっ、とした次第です。
未完の名作「子猫のニャーちゃん 旅に出る」
どこに行ったのかしら。
家庭教師で英語を教えておりますときや
カウンセリングでお会いするときに
口頭でも文字でも、お子さんたちにご自分のことを表現していただく機会がたくさんあります。
日記を書く、というのもその一つ。
ただ、いつもとてつもない困難に直面します。
「何もなかった」という方が90%。
「何もなかった」って何なんでしょう。
一日、一週間生きていて、何もなかった?!
しかもまだ二十歳にもならないお子さんたちです。
毎日何かをして何かを感じているのでは、と思っているのですが
「いつもと同じ」と
まるで私たち世代のようなことを言うのです。
もちろん、毎回、こちらが制しなくてはならないほど
お話ししてくださる方もいらっしゃいます。
別に毎回旅行だの病気だのという
「イベント」について話していただきたいわけではないんです。
何ということのない、「いつもと同じ」その日のことです。
何をしたか、何を感じたか、何を考えたか。
この違いはどこからくるのでしょうか。
私自身は子供がおりませんので偉そうなことは申せませんが
でも、一つはやはり「周りにどれだけ注意を払っているか」という点でしょうか。
別に毎分毎分ネタ探しをしろ、といっているわけではなりません。
でも周りに注意を払っていないお子さん、結構いらっしゃいます。
「注意を払う」というよりは
周りに気づいていない。
だから周りの人に対する気遣いも敬意も
周りの出来事に反応することも
それについて何かを感じることも
そんなあらゆることが「希薄」なのです。
周囲の情報が頭にインプットされない。
だからどうなんだ、といわれると困ってしまうのですが
ただ、一抹の不安があります。
「希薄」
ただの杞憂であればいいと思いますが
未知のものには恐怖を感じてしまう人間の性なのでしょうか
私にはやはり少々心配な現象です。
そうかと思うと、全神経が露出しているようなお子さんもいらっしゃって
その方にとっては、毎日がジェットコースターのようです。
そんなお子さんを見ると
感じることを遮るのではなく
感じた心をきちんと抱きしめて受け止めてあげたい、と切に思います。