Ian Ziering (「ビバリーヒルズ高校白書」、覚えていますか?)の言葉です。
この1週間は、鈍感な私もさすがに心がわさわさするような
そんな1週間でした。
昨年の春・夏に続き、ソーシャルネットワークのおかげで
中学時代の友達に再会できました。
何年たったかは伏せておきますが(笑)卒業以来です。
その間に、気が遠くなるくらいたくさんのことが起こっているのに
そんな時間の溝はどこかに吹っ飛んで
昔や、そして今をたくさん話しました。
うらやましいくらいに地に足の着いた素敵なその友人は
颯爽と目前にある目標に向かって飛び立ちました。
そして、一週間後。
友人が日本への帰国を決め、さようならをいうことになりました。
一時的だということは分かっています。
毎日一緒にいたわけでもありません。
それでもなぜか感じていたこの親近感からくる喪失感は
何度経験しても寂しいものです。
また、長くNYにいた友人には
私はどうしても自分の姿を投影してしまうようで
何となく他人事ではなかったのかもしれません。
友情というのは時間にでもなく空間にでもなく
ただそこにある関係性の中に存在するのでしょうか。
毎日いろいろな人と出会ったりすれ違ったりする中で
何かの縁でつながりが生まれ育って行く。
そしてそのつながりは
少しずつ、気づかぬうちに
自分の生活や考えや人生を豊かにし、エネルギーを送ってくれている。
毎日が忙しすぎたり疲れすぎたりしていたときに
そんな出会いと別れがあり、また何かがリセットできた気がします。
ありがとう。
「友がみな 我より偉く見ゆる日よ」という歌がありますが、
これだけ友達に恵まれていると自然と下の句は
「そげな友持つ 吾もまた偉し」
となるわけです。得な性格なわけで(笑)。
そんな友人たちに感謝しながら
そんな友人に私もなりたいと思いました。