いろいろと「とっちらかったこと」を言ったりしたりしているようで(笑)、
だからこそなんとなく人間的で好感を持っているルソーの言葉です。
なぜだろう?どうしてだろう?
と考えることは悪いことではないのですが、
もう少し自分の「感」と「勘」を信じていいように思うのです。
自分が「見る前に飛ぶ」タイプの人間だからかもしれません。
でも反対に、最近
「感じることができない」方に多くお会いします。
「感じてることを言葉にできない」のではなく
「言葉にできないから何も感じていないことだと思う」
そういうことなのです。
子育て論の中では
「怒る前になぜそうしたか聞いてみよう」
といった風潮があります。
子供を尊重してのことだと思います。
確かに頭ごなしに怒ったり否定する前に
どうしてそうなったか、聞いてみよう、というのは巣晴らしいと思います。
でも私は古い人間なので
「どうしてあれ買っちゃいけないの?」
「どうしてでもっ」
という、親の理不尽さもとても大好きです(笑)。
言葉で感情を上書きする前に
言葉にできない感情を共有するような
そんな触れ合いの時間も
家庭や学校で、もっとあってもいいのではないかなぁ。
観たものを、身体的な感覚で覚えている
というのは、特に子供時代に多く経験できる贅沢だと思っています。
理屈ではない記憶が時によみがえるとき
それは、映像や匂いや音や震えや
言葉ではない即時的な感覚をもって
再び襲って来ます。
物事の仕組みなんて、世の中のカラクリなんて
否が応でも大人になれば耳に入ってくるので
何も急ぐことはないのではないか。
・・・私には子供がいませんので
ただの机上の空論です。
ただ、私は甥と対するときには
理屈抜きの、言葉にできないその感情を
叔母として応援し尊重し受け止めてあげたいと思っています。
・・・叔母というのは、本当に得な位置ですね。