Microagressionの両側で

小さい時の母の思い出は他愛もないものばかりで
夏の大嵐の日に安普請の公務員宿舎で
強風にたわむ窓ガラスをきゃーきゃー言いながら
一緒に支えていた時に見上げた母の横顔とか
近所の神社の「節分の日」の豆まきで
神社の人が撒いたサイコロキャラメルを
片手に私を抱いたまま母がナイスキャッチ。
「ポケットに入れておきなさい」と言われたのになんとなく眺めていたくて
ずっと手にしていたら隣の人とぶつかってあえなくキャラメルは地面に。
その瞬間にそのキャラメルをさらっていった手。
そして母の残念そうな顔。

そんな思い出を作れるのは、羨ましいと思いつつ
私は子供がおりませんので、甥っ子たちとそんな思い出を作ろうと思っています。

 
女性と生まれたからといって子供を持たなくてはいけないなどとは
決して思いません。
産まない人も、いろいろな事情で産めない人も人はいろいろ。
私も小さい頃はなんとなく、大きくなったらみんなお母さんになるんだと思っていましたが
でもそうではないのだ、と。

この間カウンセリングでお会いした方のお話に
つい「分かる〜」と、カウンセラーにあるまじき感情を持ってしまったので
ちょっとお話させていただこうと思いました。

その方は日本でしっかりキャリアを積んでこられて
ただ、何となくご結婚やご出産のタイミングがなく
今もお一人でおられます。

日本では「女性の活躍」だとか「育休」だとかそう言った話が盛んで
それはそれでいいのだそうですが
「女性のための・・・」という講演会や勉強会に参加しようと見てみると
内容が「育児」についてがほとんどなので、そのたびに何となく落ち込むそうです。
それだったら「働く母親のための」と言って欲しい、と。
「女性のための」と銘打つのなら、母親もそうではない女性も
いろいろな女性のために話をしてもらうことはできないのか、と。

主催者側も、そんなつもりではないことも
彼女も少し考えすぎる、敏感すぎる時もあることも分かっているのです。
でもそういう時に落ち込む自分もいる。そう話していらっしゃいました。

なるほどなぁ。
私はそのあたりは鈍感だったり、すぐ立ち直ったりするので気にしていませんでしたが
でもそういう感じ方、わかるなぁ、と。
では、その逆はないのか。
「”働いていない”母親」という、間違った認識を
私たちのような者が振りかざしていないか。

そんな反省も自分の落ち込みも受けとめながら
今日もカウンセリングは続きます。

最後にこちらをぷちっとしていただけると幸いです

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