人の世は一寸先は闇、そして稀に光である。

今年10歳になる甥はTV版「鬼平犯科帳」の大ファンで
何パターンかのオープニングのナレーションを全部覚えているようです(笑)。
時代劇ファンの家族なので、門前の小僧といったところでしょう。
そのとあるエピソードのナレーションに、こんなものがありました。

「鬼平犯科帳」が終わってしまって、彼は大丈夫かしら。

 
私たちはめまぐるしい毎日を生きていて、
いつも変化にさらされています。
毎日が心穏やかに過ごせたらいいのに。
そうは問屋が卸しません。

そんなことを話していたら、友人が気功の先生に聞いた、といって”maybe”という言葉の考え方を教えてくれました。
「人生は流れ行くものだから(constant state of flux)、物事がうまくいっているからといって有頂天になったり
うまくいかないからと悲観的になったりする必要はない。どちらかに大きく振れてしまうと、人生のバランスを失ってしまう。」
今はまあまあうまくいっているのかもしれない(maybe)けど、長い目でみるとうまくないのかもしれないし
今はあまりうまくいってないかもしれない(maybe)けど、長い目でみるとうまくいっているのかもしれない」

なるほど、と思う反面、Yes and no、とも感じた私でした。

私はやっぱり、その瞬間は振り切ってしまう人間のようです。
だから、私の人生は”ちょー(absolutely)”という瞬間が多い。
”ちょーうまくいってる”
”ちょーイケてない”
人生はその短いabsoluteな瞬間の繰り返しで、でもそれが永遠に続かないことは知っていて
だから人生が”maybe”だとは思っているのですが
その”maybe”加減が違うんだなぁ。なるほど。

もちろん、こんな話には正解も不正解もあるわけはなく、あるのはただ自分がどう思うか、ということだけです。
瞬間振り切れる人生もあれば、振り切らずにバランスを保って生きていくこともできる。
そんなことをふと考えました。

最後にこちらをぷちっとしていただけると幸いです

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