幸せってなんだっけ。

私はまだまだ特に大きな問題もなく毎日を過ごしています。
私はあくまで、父の姿を通してだけ闘病生活、というものを見ました。
だから無責任かもしれませんが、無神経かもしれませんが、
それでも自分が考えたことを
少し書かせていただこうと思いました。

 

父がだんだん動けなくなり、
だんだん自分の思い通りにならなくなってきたとき
切ないことですが、もしかしたら、人間の幸せへの期待の形も
それに合わせて変わっているのではないか、と思うことがありました。

父に直接聞いた訳でもありません。
ただ、病気がちだった自分の小さい頃を思い出しても
布団に寝るしかなかったあの時間の自分の頭の中では
息が苦しくて喘いでいたときでも
確かに面白いことや、楽しいことがあったのです。

父の病気は明らかに死に向かって行く病気でした。
そんな宣告を受けた父の気持ちは、決して分からない。
でもそんな宣告を受けた父を持つ娘の気持ちは、分かりました。

私たち家族が父のために信じていたことは
「病気でない」ことだけが「健康」なわけじゃない、ということでした。
私がうっすら覚えているあの感覚がもし正しいのであれば
父がその時々で求める幸せがあり、それを与えることもできるのでは、
と思ったのです。
そしてその「幸せ」があれば、問題がある身体を抱えていても
その時点での身体と心は「健康」でいてもらえるのではないか、と。

詭弁でも、気休めでもいい。
それが一番しっくりきたんです。

父が逝った日。3月25日。
大好きな「決闘!高田馬場」の、その日の舞台がDVD化されました。不思議な気持ちでした。
父が自分の人生に幕を下ろそうとしていたその日に
こんなにたくさんの人が
こんなに幸せに笑っている。
なんて素晴らしいんだろう、と。

今でもこのDVDを見返しては、大笑いしています。

今年で十年。
五年を過ぎたころ、父は夢に出てこなくなりました。

最後にこちらをぷちっとしていただけると幸いです

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