カルネアデスの舟板。

あるとき、舟が時化にやられて、難破します。
やっとの思いで、一人の船員が板切れを見つけて漂流し助けを待ちます。
そこに、もう一人、九死に一生を得た船員が
やはりその板につかまろうと近づいてきました。
でも、その板は二人の人間がつかまれば重みで沈んでしまいます。
最初の男は、後から来たその船員を溺死させてしまいました。

最初の船員は、罪に問われるべきなのでしょうか。
それとも「緊急避難」なのでしょうか。
・・・というお話です。
他にも、推理小説やSFがお好きな方には、「方程式モノ」がお馴染みだと思います。

命の値段や重さは、みな平等。
頭では分かっていますが、どちらかを選ばなくてはならないとき
人はどういう選択をするのでしょうか。

実際に「人命」に関わらずとも
私たちは生きていく上でいろいろな選択を迫られます。 

先日、同じようなお仕事を目指すために面接を受ける生徒さんと
こちらでよくある「Ethical Questions(倫理的質問)」にどう答えるか
という話でずっと話し合いました。

だれでも倫理的なジレンマというものには
対峙しなくてはならないときがあります。
できれば、人命に関わるようなものには出会いたくないなぁと思いつつ
でも日々、紛争や災害のニュースを目にすると
本当に命ってなんなのだろうと考えさせられます。

何のために生まれ、何のために生きていくのか。

さんまさんではありませんが「生きているだけでまるもうけ」のような昨今
気持ちを高めて生きて行くのは、大変ですね。
しかもナンダカンダ言っても
毎日のほほんと生きている私。

人命には直接関わらなくても、その人の人生や将来に
皆少しずつ触れて、皆少しずつ影響を与えながら生きています。

結局倫理的質問に、完璧な答えなど望むべくもなく
またああでもない、こうでもないと考える毎日です。

 

最後にこちらをぷちっとしていただけると幸いです

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