人間にとって時の流れほど強ぇ味方はねぇもんだ。

鬼の平蔵の言葉です(笑)。

私ごとですが、先週愛猫が逝ってしまいました。
自分を卑下するわけではないのですが
でもやっぱりペットは飼い主に殺される、と思っています。
私たちが彼らのイノチを握っている。
だから
もっと何かやれたのではないか
たとえ寿命は同じでももっと楽しい時間をすごさせてやれたのではと
悔やむことしきりです。

そして、イノチのもろさと大切さを
身をもって教えてくれたサスケにも
なんとなく申し訳なくて。
また、失敗してしまいました。

 Daru Nov 2015

シェルター一(いち)シャイだった愛猫のダルマは
家の中をうろうろし始めたものの
なかなか私に触らせてくれませんでした。
それでも3ヶ月も経ったころでしょうか
通りすがりになでさせてくれるようになりました。
6ヶ月あたりでソファで横に座ってくれて
1年たったらもう離れなくなりました。
そして1年半たったら、私の完全なる執事生活が始まりました(笑)。

ペットと一緒にして申し訳ないのですが(笑)
父が逝ったときも
こうやって猫が逝ったときも
やっぱりお腹は空くし
時間がくれば眠るし
毎日の生活は過ぎていくし
そんなことで時間が過ぎていきます

忘れるというのではなく
ただ
別れを受け止める努力をしたり
話しかけても返事がないことに慣れていったり
そういう時間を経て
また自分の次の生活への一歩を踏み出していく

ただ、そういうことなんだな。

ダルの性格が穏やかだったからでしょうか
今は悲しいながら心の中は穏やかです。

今頃サスケと会っているでしょうか。

最後にこちらをぷちっとしていただけると幸いです

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