友人に自分のことを説明するときに、いちばん最初に出てきた言葉が
「おかちめんこ」でした。
どんなメンコかも知りませんし、いい言葉なのか悪い言葉なのか
そんなことも知らずに
でも口をついて出てきました。
そういう風に出てくる言葉が、自分の本当に思っていることなんですよね(笑)。
私はproudly「おかちめんこ」。
友人に自分のことを説明するときに、いちばん最初に出てきた言葉が
「おかちめんこ」でした。
どんなメンコかも知りませんし、いい言葉なのか悪い言葉なのか
そんなことも知らずに
でも口をついて出てきました。
そういう風に出てくる言葉が、自分の本当に思っていることなんですよね(笑)。
私はproudly「おかちめんこ」。
古い友人が私に言ってくれた言葉です。
別に卑下しているわけでもなく
自分の人生を嫌いなわけでもなく
ただ時に私は
「私の人生は平々凡々、なんてことない人生だなぁ」
と思うことがあります。
そんなことを話した後の、言葉でした。
須賀敦子さんの「遠い朝の本たち」から
敦子さんの幼なじみ、しげちゃんの言葉です。
「二つ目だから」しかたない、とか
「二つ目なのに」すごい、とかなるわけです。
ぶら下がったり、助けてもらったりしている。
真打ちだと、ダメだと人はふっと横向きますから。
春風亭一之輔師匠の真打披露会見で、柳家小三治師匠の言葉です。
その「名」に相応しい責任とプレッシャー。
どこの世界も同じなんですね。
よく、いろいろな場面で使われる表現です。
それしかできなかった、他に選択肢がなかった、という場合に
こんなことをよく言います。
先日、NY州立大学のキャリアセンターが集まる会議がありました。
その中のBreak Out Sessionのひとつ、「障害を持つ人たちへのキャリアカウンセリング」で
外部から招待されたスピーカーの方が
ご自分の経験を話されたときに、こうおっしゃったのです。
Ian Ziering (「ビバリーヒルズ高校白書」、覚えていますか?)の言葉です。
この1週間は、鈍感な私もさすがに心がわさわさするような
そんな1週間でした。
昨年の春・夏に続き、ソーシャルネットワークのおかげで
中学時代の友達に再会できました。
何年たったかは伏せておきますが(笑)卒業以来です。
その間に、気が遠くなるくらいたくさんのことが起こっているのに
そんな時間の溝はどこかに吹っ飛んで
昔や、そして今をたくさん話しました。
うらやましいくらいに地に足の着いた素敵なその友人は
颯爽と目前にある目標に向かって飛び立ちました。
そして、一週間後。
友人が日本への帰国を決め、さようならをいうことになりました。
一時的だということは分かっています。
毎日一緒にいたわけでもありません。
それでもなぜか感じていたこの親近感からくる喪失感は
何度経験しても寂しいものです。
また、長くNYにいた友人には
私はどうしても自分の姿を投影してしまうようで
何となく他人事ではなかったのかもしれません。
ご存知映画実写版「ピンポン」より
中村獅童さん演じるドラゴンのセリフです。
ペコとドラゴンの熱い試合の最中
なかなか決着が着かないラリーの応酬。
でもそのうちに
高まる歓声も自分たちの汗も遠のいて行き
気が付けば真白な宇宙の中
二人でただただ球を追っている。球を打っている。
そんな時、険しかったドラゴンが表情を柔らげ言う言葉です。
私の部屋に一度来た方ならご存知ですが
整頓、という概念が私にはありません。
近い将来、また使うかもしれないものをしまう意味が分かりません。
まあ、1~2週間は使わないかな、というものは週末にまとめて全部しまいます。
でも明日使うかもしれないなら
手の届くところにおいておきたい。
そしてまた、うちには猫がいます。
彼らには彼らの「大切なものコーナー」があり
いろいろなゴミを集めてくれてます。
それはそのままそっとしておいてあげたい。
だから私の部屋は、昨日越してきたみたいな体で
今日も雑然としています。