これくらいの年になれば(涙)
いつまでも続くものがないように
いつまでも続くものがあることを
分かっているのですが。
大切な友人が日本に帰ります。
私が来るよりずっと前からアメリカにいて
ひょんなことから、本当にひょんなことから出会ったQ。
007みたいでしょう。でもある意味あのQみたいな感じもあった、Q。
Qはお芝居のプロダクション会社を持っていて
日本から面白い作品をたくさんアメリカに持ってきていました。
その中の一つのお芝居の、広告の英訳。
私の友人が見つけたそんな仕事のポスティングをきっかけに、電話してみました。
ちょっと日本人ぽくはない表記の名前でしたので
そして流暢な英語を話すQにすっかり騙されて最初の会話は英語で。
ミッドタウンのスターバックスで会ったときに
「ほえっ、日本の方ですか?!」
・・・・それから10年以上。
彼女はただ単に「私が私でいられる場所」だけではありませんでした。
いや、それもありがたかったのですが
non-judgmentalの意味を、真に、自然に教えてくれた人でした。
だからそんな彼女は私にとってはまさに明鏡。
自分がそのまま映る。そのまま、見る。
そして直すべきところは直し、認めるところは認めて、またやってみる。
自分を隠していた仮面が一つ一つ落ちていくのが分かりました。
そんな場所でした。
別に毎日会っていたわけではない。
でもそんな人に、大人になってからも会えるなんて、なんて幸せ者だろうと
いつも思っていました。
彼女が日本に帰ったからと言って
関係が変わるわけではない。
でも何かが変わる。それは事実。
そんな思いは、ありきたりのコトバでは表せません。
それもまた、Qらしくて、よし。
来月からも、Qがいたときのようにやっていけるかな。
やるんだろうな。ただ、ぽっかりとした穴を埋めながら。
Qのこれからに、楽しいことがたくさんあるようにと
ただただ祈るのみです。
ありがとう。陳腐だけど、ありがとう、一切合切。