You gave him the best time of his life. Don’t forget that.

Sleepy head

あれから2ヶ月が経ち、やっと書けるようになりました。
4月21日。大好きなゑるびすが、急逝しました。
やっと書ける、と言っても、結局まだ涙は枯れません。
そういうものですね。
悲しいのは、話しかけても返事がない時。

今日は長くなりそうです。

3月初めのある夜、そろそろ寝ようかという時に、ゑるびすの左目が
まさしく「ネコ目」になっているのに気付き、病院に行きました。
何かの炎症か、中耳炎か・・・などなど、約1ヶ月
私に首根っこをつかまれて、かわいそうに頑張って薬を飲みました。

頭部の炎症から起こる「ホルネル症候群」を起こしており
片目が細くなり、そしてバランスを失うようになりました。
常に首をかしげる状態になってしまい
大好きなキッチンカウンターにも飛び乗れなくなってしまいました。

それでも頑張った約1ヶ月後、やっとお薬から無罪放免。
もともと「今日はもう薬やめたいです、って言おう」と決めていたので
有頂天になって家に帰りました。

でも。家に着いてみると、ゑるびすの様子が何かヘンなのです。
おかしい。これは危ない。ものすごくイヤな感じなのです。
またカゴに入れて車まで急ぎながら慌てて病院に電話をする。
もうパニック状態でした。

車の助手席にカゴを置き、私はfranticに
「ゑるびす、ゑるびす」と叫びながら
「逝かないで、まだ逝かないで」と叫びながら
運転していました。
でも時折なでる手の先にあるゑるびすのカラダが
徐々にその温もりを失うのは、分かっていました。

病院について待っている間、今度はやけに冷静でした。
部屋に呼ばれて「I am so sorry…」
お別れを告げられました。

薬から解放されて有頂天になってからどん底まで
ものの40分くらいの出来事でした。

本当の理由は分かりません。でも解剖なんてしたくなくて
ただお別れを言いました。
ごめんなさい。ありがとう。ごめんなさい。ありがとう。

診察を待っている、ただでさえ不安気な他の動物たちを不安がらせたくなくて
病院の中では弱々しい微笑みを浮かべながら
そして車に座った途端泣きました。

家に帰っても、この朝の一連の出来事が整理できず
ただただ「ああ、ゑるびすが最後に聞いたのは、私の優しい声ではなくて
叫び声だったんだな」なんてことを無性に後悔したりして過ごしました。
その瞬間、せめて優しく抱いていてあげたかった。
眠れない夜と、目覚めたくない朝が始まりました。

ゑるびすを可愛がってくれた友人たちに
そしてゑるびすをもらったシェルターの人、そして元里親さんに連絡。
みんながゑるびすの死を悼んでくれました。
本当に可愛い子だったんです。

本気になって始めてからは、熱があろうが何があろうが絶対毎日触っていたウクレレに
触れなくなりました。
ゑるびすがいつも横でごろごろ言いながら眠ってくれたり
私の撮影にイヤイヤ協力してくれたり
だからとても触れませんでした。前を通るときも、見ることすらできない。

写真も見られませんでしたが、何日か経ってこの写真を見つけました。
病気になってから自分の変化に少し戸惑っていたゑるびすが
やっと慣れたらしく、まだ片目は小さいですが、
穏やかな、いつものゑるびすの眠たい顔をして甘えているところです。
この写真を見つけた時、何故だか少し救われました。
病気を思い出させる写真なのに。ゑるびすらしい表情だからかもしれません。
そうだ、病気でも、なんとかやってけそうだ、とお互い(笑)思った夜だったんだ。

上の言葉は、シェルターの代表の方が言ってくださった言葉です。

もともとガムテープで閉じられたダンボール箱に捨てられていたゑるびすが
蝶ネクタイつけて、ウクレレの子守唄で眠るのよ。
我が物顔で抱っこされて、美顔マッサージまでしてもらって。
確かにたった1年半だったかもしれない。でも
彼の生涯の最後に最高の1年半をあげたのよ、あなたは。
He was loved. And he knew that.

「また私を信用してくださるなら、いつかまたそちらから猫をいただきたいと思います」
と言ったら「また信用する?何の話よ?Masakoのためにもう2匹選んでおいたわ」と
笑わせてくれました。
何だか猫の連続殺人鬼になったような気分だったので、またまた救われました。

この深い暗闇からはなかなか抜け出られません。
でも周りの人の助けがあって、今は頭が出ています。
本当に可愛かったゑるびす。
私たちは猫のシモベですが(笑)
シモベ冥利に尽きる、そんな猫でした。

ありがとう。ごめんなさい。ありがとう。ごめんなさい。

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