100ドル札のBenjamin Franklin、ベンジャミン・フランクリンの言葉です。
いつも通り私が勝手に訳しています(笑)。
皆さんは「今日は何だかぷんぷんしている日だ」という日はありませんか?
私はあります。理由はよく分からない。
でも理由なんてどうでもいい。私は怒っているんだ。ぷんぷん。
・・・そういう日は、きっと私の額には「怒」と書いた紙が、
キョンシーみたいにぶら下がっているに違いない、と思います。
だって、会う人会う人が、何だか怒っていたり、私を避けたりするんですから・・・。
作成者別アーカイブ: チカラ案内人
ハッピーエンドかどうかは、物語をどこで終わらせるかによって決まる (If you want a happy ending, that depends, of course, on where you stop your story. )
Orson Wells(オーソン・ウェルズ)の言葉です。
いろんな受けとり方があると思うのですが、
この言葉を見ると、私はいつも自分のカジノ時代を思い出します(笑)。
あ〜あのときやめてれば、勝ってたのになぁ〜。
あの負けたお金が悔しいな〜。
ハッピーエンドだったのに、つい「もうちょっと・・・」の誘惑に負けて
not-so-happy endingに、あるいはtragedy(悲劇)になってしまうことがあったなぁ〜。
・・・こんな次元の低い話をしたら、市民ケーンに怒られますね(笑)。
マインドというのは特別な場所だ。そこでは地獄も天国になるし、天国も地獄になる(The mind is its own place, and it itself, can make a heaven of hell, a hell of heaven.)
John Milton (ミルトン)の「失楽園」からです。
有名な話があります。
ずいぶん昔のこと。ある靴屋さんがアフリカに人を送って市場調査させました。
その人の電報によると
「もう国に帰る。ここじゃ誰も靴を履いていない!」
時を同じくして、もう一軒の靴屋さんも、アフリカに人を送りました。
その人曰く
「ビジネスには最適だよ。誰も靴なんて履いたことはおろか聞いたこともないんだから!」
世の中で起こっていることは
まさしくロールシャッハテストやだまし絵みたいなもので、
見る人によってツボに見えたり人に見えたりするんですね。
赤ちゃんは幸せだから笑っているのではない。笑っているから幸せなのだ。(He is not laughing because he is happy; instead, I should say that he is happy because he is laughing. )
Alain(アラン)の「幸福論」、「友情」の章からです。
赤ちゃんが笑う、というのは周りの人を、
そしてひいては世の中を幸せにしてくれるような気がします。
自分もそんな風に笑っていた時期があったんでしょうか。
・・・誰にも絶対あったし、またあるんだと思います。
つい忘れがちなことですね。
疲れていたり、落ち込んでいたり。
人のことを羨んでいたり、恨んでいたり。
ほっぺたの肉が硬直して、笑えなくなってしまうことがあります。
「I’m sorry」は弱さの証だ(I’m sorry: A sign of weakness. )
数々の映画やドラマで使われる常套文句です。
アメリカでは日本人がすぐに「I’m sorry」というので、
日本人の「弱さ」「主張のなさ」が取り上げられます。
確かに。その通りです。さすが自己主張の国です。
でも「I’m sorry」を「ごめんなさい」ではなく
「すみません」の直訳だと考えると、そのコンテクストは全く違ってきます。
「I’m sorry」と言える強さを、アメリカ人の中にいる私はときどき考えます。
気に入らぬ 風もあろうに 柳かな
「天災」を初め数々の落語の噺でも引用されている、
仙厓(せんがい)和尚の言葉です。
書画を数多く残した「博多の仙厓さん」はこの句に、こんな絵を残しています。
(NHK日曜美術館のページより拝借)
落語で覚えたこの句を中学の習字の授業で最終プロジェクトとしてとりあげ、
描いた書画がこの書画とそっくり。もちろんつたない筆使いでしたが。
当時まだインターネットなどなかったので何も知らず、後に検索して驚きました。
それだけ人にしっかりとした印象を与える句なんだなあ、
と感動したのを覚えています。
あれ、どこに行ったかな〜・・・証拠があるといいんですが。
でも、本当なんです・・・・「堪忍」まで描いたんですよ(笑)。
努力の最終目標は、自己変革だ。(The final goal of human effort is man’s self-transformation.)
Lewis Mumfordの言葉です。
あけましておめでとうございます。
皆様のご健康とますますのご発展をお祈りします。
今年ものんびり、でも着実に参りましょう!
新年ともなると、今年の抱負は?目標は?
とよく聞かれますよね。いい機会なので、おせちをいただきながら
ちょっと考えてみるのもいいかもしれません。
・・・とはいうものの、その年の「抱負」や「目標」が達成された年なんて
これまで何年あっただろう・・・
私は「運」を信じているよ。努力すればするほど、たくさん訪れるからね。(I’m a great believer in luck – the more I work, the more of it I have. )
Stephen Leacockの言葉です。
クリスマス休暇が終わると、あっさりしたもので
NYはほとんど ”Business as usual” に戻ります。
日本人の私としてはそのあっさり度がちょっと恨めしく、
とはいっても一人で正月気分を盛り上げることもできないので、
友人宅を訪ねる以外は何となく過ごしてしまって、あれよあれよという間に日常に戻ります。
でもやっぱり「年の瀬」ですから、何となく区切りがいい感じがして、
何か考えたくなってしまいますね。
今年はどんな年だったか、っていうのはこの間ちょっと考えてみたので
今年最後の「チカラ」では、
来年どんな年にしたいか、というのを考えてみようと思います。
自分の家よりゆっくりくつろげる場所があるだろうか。(Where could one settle more pleasantly than in one’s home?)
Cicero(キケロ)の言葉です。
毎年この時期になれば、「I’ll be home for Christmas~」と歌う
ビング・クロスビーの甘い歌声が町のあちらこちらに流れます。
若いうちは義務感にかられて帰る人もいるんでしょうが、
でも文句言っても、なんだかんだ言っても、「うち」って恋しいものですよね。
異国にいる方々はなおさら、ということもあるでしょう。
最近は航空券も高くなってきてますから、
「帰りたくても帰れない」っていう状況がこれから出てくるかもしれませんね。
なんでこんなに高いんだろ・・・
彼の弱点を知ってるだろう?彼は何も赦せないんだ(You saw his weakness; that he’ll ne’er forgive.)
Friedrich von Shillerの言葉です。
ぱっとしないニュースが続き、あっという間に年の瀬で、
何となくせわしなく毎日が過ぎていく。
そんな中、イライラしたり、ムカムカしたり、どっよーんとすることもある。
それなのに、街は楽しげにジングル・ベル。
パーティなんかにいけばその場は楽しいんだけど、
トシを重ねるといろんなマジックが消えていって、
ふと我にもどれば年末も年始もなく、同じような日が過ぎていく。
あ〜、こうやっていくうちにまた今年も終わって、
来年がきて、そしてまた来年の年末が来て・・・
・・・なんてうんざりしている方はいませんか(笑)?
