世間を欺くには、世間と同じ顔をなさらなくては。(To beguile the time, look like the time.)

ご存じマクベスから、マクベス夫人の言葉です。
お〜、コワいコワい(笑)。

星新一さんだったか・・・どなたかの短編小説で、
幼い頃にぞわ〜〜〜っとしながら何度も読んだものがありました。
ごめんなさい、題名も忘れてしまいました・・・・
でもそのぞわ〜〜〜だけ、今も鮮明に覚えているのです。

ある町で、主人公は銀行だかどこだかにいます。
この町は不思議な町で、みんなが「田中さん」という名前なのです。
銀行で次々に呼ばれる名前・・・
「次にお待ちの田中さん」
「田中さん、どうぞ」
主人公は「???」となります。
そしてその次に主人公が呼ばれます。

「中村さん」

・・・途端にざっ、と銀行中の人が「中村さん」の方を見るのです。
(「中村さん」だったかは不明なのですが、「田中さん」ではありませんでした)。
その光景を瞬時に頭の中で見てしまって、震え上がりました。

非難するでも、攻撃するでもないのです。
ただ、見る。

・・・コワいです・・・

 

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福を取り尽くしてしまわぬが惜福であり、また使い尽くしてしまわぬが惜福である。

幸田露伴の「努力論」から、有名な「幸福三説」の中の「惜福」です。

「幸福三説」とは「惜福」「分福」「植福」の3つです。
「分福」「植福」は読んで字のごとく、です。
福はみんなに分けるものである、自分だけ幸せになるのではなく、
周りを幸せにして初めて自分も幸せになれる(「分福」)という考え、
また「植福」は、将来の幸せの種を植え、植物を慈しむように
その幸せを育てる=正しい努力をする、ということだそうです。
過去は変えられないけれど、未来には自分で挑戦できるんですね。

惜福」とは、「福」を惜しがることではなく、
「惜しむように」「もったいないように」「福」を享受することだそうです。

日本の帰った際に買ってきた、大好きなしそちりめんを
少しずつ、少しずつ食べた自分を思い出しました・・・
・・・ちょっと次元が低かったですね。

この三つは、お互いに絡みながら、
「幸福」というものに対して私たちが考えるべき視点を与えてくれます。

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人はね、「ここぞ」というときには、何にも言わないの。

古畑任三郎シリーズより、「偽善の報酬」の犯人、
佐々木高代の言葉です。

売れっ子脚本家である彼女の犯行を見破り
「もしこれがドラマでしたら、先生でしたらどんなセリフで幕を閉じますか?」
と聞く古畑任三郎に、彼女がいう言葉なのです。

彼女はこうも言っています。「今のドラマはね、話し過ぎよ」
・・・おっしゃる通り。

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仕事に必死になる以上に、自分を磨け。(Work harder on yourself than you do on your job.)

Jim Rohnの言葉です。

先日、知り合いのツテで、
夏の間レストランのウェイトレスのバイトをさせていただきました。
まだまだ勉強中の身ですので、
我が儘なスケジュールに合わせて働かせていただいて
お金もいただける、というのは本当にありがたいことです。

リテールとファストフードしか経験のなかった私には新鮮なことだらけで、
皆様にご迷惑をおかけしながら、
それでも毎回楽しく働かせていただきました。

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それでも人生にYesと言う。(… trotzdem Ja zum Leben sagen. …Still say yes to life.)

気がつけば、書き始めてから今日で一年がたちました。
これまで読んでくださって、励ましてくださった皆さん、
本当にありがとうございます。
まだまだ未熟な内容、未熟な文章しかお届けできませんが、
これからも温かく厳しいサポートを
どうぞよろしくお願いいたします。

そして、おめでとう、自分のチカラ(笑)。

その一年目の記念には、フランケルの有名なこの著作。
「それでも人生にYesと言う」。

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いろいろボクは幸せの前借りをしすぎたみたい。そろそろ前借り分を返す時なのかもしれない。

舞台「女教師は二度抱かれた」から、天久六郎の言葉です。

よく、「人が一生に得られる幸せの量は決まってる
という人がいます。
そうだといいな、と思います。
だから若いときに苦労すると、後で幸せになれる。

でも自分が辛いとき、
自分がそれほど認めていない人間が幸せに見えるとき
人はまたその不公平を嘆き、怨みます。
なんであんなヤツがたくさん幸せ享受してるんだ。
私は個人的には「幸せの量は決まっている」とは思わないのですが
でも、その考え方によって
助けられるときは確かにあるなあ、とは思っています。

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現代に生きる我々は、これまで以上に生きる方法はいろいろと手に入れたが、生きる意味は全く知らない。(Ever more people today have the means to live, but no meaning to live for.)

VIctor Frankl(ビクトール・フランケル)の言葉です。

またまた仙厓さんのお話をさせてください。
「仙厓百話」からです。 本当に好きです、この和尚さん(笑)。

ある日仙厓さんのところに来た人が聞きました。
「世の中いろいろと教えがありますが、
一体どれが一番ありがたい お宗旨なんでしょうか。」
聞かれた仙厓さん、
「そうじゃな、羅宗じゃな。」
「それは聞いた事ございませんが・・・?」
「親は親「らしゅう」、子は子「らしゅう」、
坊主は坊主「らしゅう」、 町人は町人「らしゅう」
・・・どうじゃな?まだ悟れんかな?」

・・・はい。座布団一枚。

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誰でも本当は命が勝つ、と信じているはずだ。でなければ、みんなとっくに死んでいる(All living beings believe that life will triumph, otherwise they would die on the spot.)

アランの幸福論からです。

ここ数日来、何故か友人たちの話に何かしらの共通点があり
それがきっかけで考えたことがあるので、
今日はそれについて書いてみよう、と思い立ちました。
自分のココロに優しい刺激を与えてくれる友人を持っている、
というのは本当に幸せなことです。
しかもその当人同士は知らない友人たちなので、
なんだか不思議な気分でした。

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堪忍の袋を常に首へかけ 破れたら縫え 破れたら縫え。

道歌から拝借しました。
以前ご紹介した「博多の仙厓さん」の歌と同様、
落語「天災」でこの歌を覚えました。

この歌をアメリカ人の友人に説明するのはいつも一苦労です(笑)。
字面通りには伝えられたとしても、
その感覚は、伝わらないだろうなぁ。

「堪忍袋の尾が切れる」
私は短気でこらえ性がないので、よくあります。
どっかーん。ぷっつーん。
頭で、心で、何かがよく爆発します。
いかんな〜、穏やかに生きたいものだな〜、と思いながら
それでも切れるものは、切れるんです(笑)。

私たちはいろいろなことを「堪忍」しなくてはなりません。
痛み。悲しみ。苦しみ。
そうそう、以前、
人間が一番我慢できない感覚は「かゆみ」だ、と聞いたことがありますが、
本当でしょうか。
・・・・すみません、ちょっと脱線しました(笑)。

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戦いそれ自体が面白いのだ。勝利ではない。(It is the fight alone that pleases us, not the victory.)

Blaise Pascal、パスカルの言葉です。
「パスカルの定理」っていうのが、ありましたね・・・何でしたっけ?

以前モチベーションについて考えたときに
「内因性(intrinsic)」「外因性(extrinsic)」についてみてみました。
この言葉は、明らかに「内因性」の匂いがするのですが、
でも「外因性」の方にもあてはまらないわけではありません。

何かにパッションを注ぐことができたとき、
人は結果とともに、あるいは結果よりも
その過程を楽しむようになるのかもしれません。

でも確かに、「じゃんけん」などは結果が大切かもしれません。
勝たないと、手を挙げてふり下げる過程に意義を見いだすのは、
ちと辛い・・・かな?

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