映画「Fly, Daddy, Fly」から、岡田准一扮するスンシンのセリフです。
娘に暴行を加えた高校生を倒すため、
一介のサラリーマンの鈴木さんが
落ちこぼれ高校生の助けを借りて立ち上がります。
まずは体力作り。
普段運動などしないのですぐ音を上げる鈴木さんに
スンシンが言うセリフなのです。
60兆もあるんですね。
映画「Fly, Daddy, Fly」から、岡田准一扮するスンシンのセリフです。
娘に暴行を加えた高校生を倒すため、
一介のサラリーマンの鈴木さんが
落ちこぼれ高校生の助けを借りて立ち上がります。
まずは体力作り。
普段運動などしないのですぐ音を上げる鈴木さんに
スンシンが言うセリフなのです。
60兆もあるんですね。
George Bernard Shaw の言葉です。
まったく、この皮肉なオジサマ、どうしましょう(笑)。
「誤解」というのは厄介なものですね。
そういえばはるか昔にこんなことがありました。
友人(女性)があるものを探していたので、
貸してあげようと私がまずそれを差し出しました。
その場にいた男性の方も、同じものを差し出しました。
タイミングの妙で、彼女は、その男性のものを使いました。
彼女はその際に「ごめんね」と言ってくれました。
その謝罪の意味を巡って・・・
私:「私もせっかく差し出したのに、私のものを使わなかったことを謝ってくれた」
男性:「橋本があこがれているオレのものを使ったことに対して謝ってくれた」
という誤解が起こり、何やらおかしなことになってしまいました。
結局私の解釈の方が正解だったのですが・・・青春っていいですね(笑)。
今でもなぜか愛しく微笑ましく思い出す一コマです。
・・・すみません、また話が逸れました。
ご存知「椿三十郎」から、
入江たか子扮する城代家老の奥方の言葉です。
思えば三十郎(三船敏郎)は鞘を持たない刀、
antagonistの室戸(仲代達矢)は鞘に納まりきらない刀。
どちらもよく切れる。
そんな共通点からか、
三十郎に騙されて味方同士として語らう二人のシーンには
何とも言えない相互理解とつながりが感じられます。
・・・・などという三十郎の感想はどうでもよいのですが(笑)・・・
幸田露伴の「努力論」から、有名な「幸福三説」の中の「惜福」です。
「幸福三説」とは「惜福」「分福」「植福」の3つです。
「分福」「植福」は読んで字のごとく、です。
福はみんなに分けるものである、自分だけ幸せになるのではなく、
周りを幸せにして初めて自分も幸せになれる(「分福」)という考え、
また「植福」は、将来の幸せの種を植え、植物を慈しむように
その幸せを育てる=正しい努力をする、ということだそうです。
過去は変えられないけれど、未来には自分で挑戦できるんですね。
「惜福」とは、「福」を惜しがることではなく、
「惜しむように」「もったいないように」「福」を享受することだそうです。
日本の帰った際に買ってきた、大好きなしそちりめんを
少しずつ、少しずつ食べた自分を思い出しました・・・
・・・ちょっと次元が低かったですね。
この三つは、お互いに絡みながら、
「幸福」というものに対して私たちが考えるべき視点を与えてくれます。
気がつけば、書き始めてから今日で一年がたちました。
これまで読んでくださって、励ましてくださった皆さん、
本当にありがとうございます。
まだまだ未熟な内容、未熟な文章しかお届けできませんが、
これからも温かく厳しいサポートを
どうぞよろしくお願いいたします。
そして、おめでとう、自分のチカラ(笑)。
その一年目の記念には、フランケルの有名なこの著作。
「それでも人生にYesと言う」。
Don Rickles の言葉です。
カウンセリングもそうですが、
人に自分のことを話すのは、大層難儀であることがあります。
話すのが恥ずかしい、と思ったり
どう話していいか分からない、と思ったり
話したはいいが、言葉が一人歩きしてしまって焦ったり
それはそれは大変です。
皆さんはご自分のこと、話すのはお得意ですか?
私はどうやら、あまり得意ではないようです。
Voltaireの言葉です。
何回かご登場いただいている仙厓さんに、こんな逸話があります。
仙厓さんを尊敬してやまない素麺屋の素久さん、
仕事熱心でまっすぐな性格。
仙厓さんの好物の牡丹餅を作ったのですが
温かいうちに食べていただこうと、
粉だらけの仕事着でとりもなおさず駆けつけました。
迎えた仙厓さん、もちろん喜んだのですが、奥に引っ込み、
わざわざ法衣に着替えて、恭しく丁重に受け取ったそうです。
いぶかる素久さんに仙厓さん、
「あんたが仕事着ば着て粉だらけで来なざったけん、
あたきも商売道具の法衣ば着ておうけせにゃ、罰があたる。」*
*石村善右 「仙厓百話」(石風社)より
James Joyceの言葉です。
有名な実験があります*。
被験者に目の前に両手を出してもらい、順番に刺激を与えます。
被験者には先に触られたと思う方の手を動かしてもらいます。
それだけの実験です。
被験者がそのまま両手を前に出した場合、
刺激時間が長くなればなるほど正確に回答するようです。
じゃあ、手を交差させたらどうか。
・・・刺激時間が短い場合、正解の割合が下がるそうです。
ところが。
机の下に両手を隠して同じ実験を行うと、
正解率が上昇するそうです。
面白いですね。
昔オードリーヘップバーンの「暗くなるまで待って」という映画がありましたね。
*北澤茂「脳のなかの時間」(「解き明かされる脳の不思議ー脳科学の未来」立花隆 クバプロ 2009)
シェイクスピアの言葉です。
この言葉は有名な「十二夜」に出てくるもので、
きちんとした訳もあるのですが、
私はこんな感じに受け取りました。
なんだか、私がいつもなりたいと思っていた「礼儀正しい不良」や
「フットワークの軽い小太り」に通じるものを勝手に感じ、
ぴくん、と反応してしまったのだと思います。
昔「刑事コロンボ」という番組がありました。
コロンボは万年警部補。よれよれのコートにポンコツ車、
よぼよぼの犬を連れたコロンボを、誰もキレ者のデカとは思いません。
その彼が後半眼光鋭く犯人を追いつめるのを、
私は毎週小気味良い思いで観ていました。
・・・もちろん、私はコロンボを「おバカ」だと言っているのではありません。
再びBlaise Pascal、パスカルの言葉です。
ダバダ〜 ダバダ〜 ふ〜。
昔「違いが分かる男の・・・」というコマーシャルがありましたが
そんな感じでしょうか。
私は常に広く浅くものごとを知りたいタイプなので
じっくり深める、ということがあまり得意ではありません。
「分かった!」と思った瞬間が、
これまで、何に関してもあまりなかったのだと思います。
それでも、浅はかなりに掘り進めていったものも少々あります。
そして時折「おお」と思う瞬間はあります。
そんなすごいこと、あの人はしてるんだ。
こんな大変なこと、通り過ぎて今のあの人がいるんだ。
自分ではできないことをやっている人というのは、本当に羨ましい。
尊敬します。そして、ただただ羨ましいと私は思ってしまいます。