友人が気づかせてくれた言葉です(ありがとう、Gくん!)。
「冷めている」のと「大人びている」のは違います。
「無関心」と「不干渉」は違います。
「あきらめ」と「達観」は、違うのです。
でも何だかそれらがあいまいなままになっているような気がします。
友人が気づかせてくれた言葉です(ありがとう、Gくん!)。
「冷めている」のと「大人びている」のは違います。
「無関心」と「不干渉」は違います。
「あきらめ」と「達観」は、違うのです。
でも何だかそれらがあいまいなままになっているような気がします。
世の中「そこそこ」でいいようで、
私もよく「なんちゃって」料理をします。
ハードコアじゃないんですね。
見かけが似てたり、味が似てたり
何か違うものが入っていたり。
完全じゃない。でも食べられる。お腹もこわさない。
そんなもの、よく作ります。
Emily Dickinson の言葉です。
私は実のところ引き蘢っていても何も苦痛を感じないくらいの人間です。
決して人嫌いというわけではありません。
でも外に出ないからと言ってむずむずすることもありません。
でも何だか引き蘢っていると
ちょっとした罪悪感というか
そんなことを感じることがあります。
先日またもや間抜けなことをしてしまいました。
ガス欠です。
運転をしておりましたら、アクセルを踏んでも
ぱこぱこ。
鈍い音しかしません。はは〜ん。またやったな。
以前も経験がある私は、取り急ぎ路肩に寄って、助けを待ちました。
鶴瓶師匠が、「棚からぼた餅言うけど、落ちるところにおらんと」と仰っていましたが、
まさしく、それですね。
結構棚からぼたぼた落ちてるんですよね、ぼた餅。
でもキャッチできない。
拾えない。
それが普段の私たちです。
「自分のチカラ」
2歳のBirthday Weekに
これからは少し「自分のコトバ」も書いてゆこうかと思っています。
ますます訳の分からないヒトリゴトなりそうですが、
どうかお付き合いくださいませ。
母の言葉です。
元々小さいころからあまり外見やお化粧などといったところに興味がない上に
さらに興味を向けられることなく育ってしまった私は
時に母をそれで恨むことがあります。
でも小さいときはあまり疑問を持たず納得していたものです。
・・・今考えれば、あまり裕福ではなかった家庭を守る
母の作戦だったのかもしれません。
洋服なんて買い始めたらキリがないですもんね。
・・・あるいは、たまに服を買ってくれるかと思えば
「お前の入社式に」とオレンジのスーツを買ってくる母は
自分の趣味が常軌を逸していたことに気づいていたのかもしれません。
毎年夏になると、こちらの学校の読書課題の1冊に必ず選ばれる
「Schooled (by Gordon Korman)」からの引用です。
毎年同じところではっ、として読んでいます。
主人公の少年Capは、フラワーチルドレンの生き残りRain という祖母と
二人きりでGarland Farmに住んでいました。
ところが畑仕事中にRain が大けが。
町の病院に入院することになり、その間Capは
「普通の」学校に行く羽目になります。
「変わり者」だけどまっすぐなCapが引き起こす騒動と
変化して行く子供たちの様子が
毎章変わる語り部を通じて、活き活きと綴られます。
Richard Whately の言葉です。
混雑した駅の、切符売り場の前で立ち止まってお金を探す人。
高速道路の入り口付近で合流車線に車線変更する人。
ビルの出口を出てすぐ立ち止まって電話をする人。
その車の後ろには誰もおらず、直前には他の車がいるのにその間に割り込む人。
・・・自分も時々やりそうになるので、気をつけています。
Marshall McLuhan の言葉です。
運転をするときに、
バックミラーやサイドミラーは大切です。
でも以前、まだ車を運転し始めた時に
あまりにバックミラーを「凝視」する私に先輩が
「バックミラーって言うのはちらっ、と”目をやる”ものだから。
”見る”ものじゃないから」と言われたことがあります。
カメレオンみたいにあっちこっち見られたらいいのに。