勇気とは、自分がコワいことをやることだ。だから「コワい」ことを知らないかぎり勇気なんて出てこない。(Courage is doing what you’re afraid to do. There can be no courage unless you’re scared.)

Eddie Rickenbackerの言葉です。

いじめ」の問題を考えると、本当に無力感に襲われます。
何を言っても、とてつもなく虚しく感じることがあります。
理屈では何とも説明がつかないからでしょうか。

いじめられた人。いじめた人。その家族。
気づかなかった人。気づかないフリをした人。その家族。
誰が悪いか、何が悪いか、分からない。
特にいじめは他の犯罪にも増して当事者が子供同士のことが多く、
よって問題は社会的に複雑になります。

何をしたらいいのか。どうしたら防げたのか。
いじられる子も、いじめる子も。

 

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私を魅きつけるものは才能や魅力ではない。熱情を持ってそこに「在ること」だ。(It is not a talent or charm that attracts me; it is the very being with passion.)

・・・お恥ずかしい限りでございます。
私が思っていることです。
きっとどなたか賢人が先に仰っていると思うのですが、
ぴたりとした名言を見つけられなかったので、そのまま書いてしまいます。

人の才能や人柄や・・・いえ、そんな次元の話ではなく、
「その人が在る」ということ自体に「ホレて」しまったとき、
息ができなくなるくらいの一撃を脳天に喰らうことがあります。
それは幼い頃のほのかな恋心とは違い
理不尽に私たちの感性をひっつかみ、ねじり、震えさせます.

世の中には「Motivational speaking」のようなものがあります。
その効用にはものすごいものがあって、
だからこそそれがたくさんの人を力づけているのだと思います。
Tony RobbinsもOprahも、たくさんの人を勇気づけてきました。

それでも私は何となく馴染めないところがありました。
人が何かを言って、それがある人にとって動機付けになる、というのは、
何となく「結果論」であるべきだと思っているからかもしれません。

「動かしてやろう」として動くものではない。
人間ってそういうものでもあると思うのです。

 

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この明鏡を常にきれいに光らしておき、その面前に来るものは何者によらずそのままに必ず映るようしておくことである(keep this mirror always bright and pure and ready to reflect simply and absolutely whatever comes before it)

Daisetz Teitaro Suzuki(鈴木大拙)「Introduction to Zen Buddhism」からです。

私は、「言葉」が大好きです。
何故なら「言葉」は美しいし、
ただ目の前にあるもの、見えるものだけでなく、
その背景にある豊かな文化を伝えてくれるからです。
ですから、他国語を聞くのも習うのも大好きです。
その「言葉」が生まれ育まれた背景に想いを馳せるのが好きなんだと思います。

大学時代に1回だけ挑戦したエスペラント語だけは
残念ながら、見事に何も残りませんでした。
構想は雄大だと思ったのですが、
・・・多分、私には血が感じられなかったのかもしれません。
「言葉」は、記号じゃない。・・・はず。「言語」だけじゃない、はず。

・・・でもその反面、私たちはその美しい「言葉」と論理によって
がんじがらめにされることもあるなぁ、とも思います。

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ありがたいことに、旧友たちの前ではおバカになれる(It is one of the blessings of old friends that you can afford to be stupid with them.)

Ralph Waldo Emersonの言葉です。
時代にあまり乗れない私も、Facebookのおかげで
ずいぶん昔の友達とつながることができました。本当に感謝。
昔の友達とは、
過ぎ去ってしまった時間をいとも簡単に飛び超えることができます。

まるで昨日、学校から一緒に帰ったみたいに。
まるで昨日、交換日記を渡したみたいに。

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悲しみを知らない人は、幸せの本当の意味が分からないだろう(I do believe that if you haven’t learnt about sadness, you cannot appreciate happiness.)

ギリシャの歌手、Nana Mouskouri の言葉です。
金八先生みたいですね(笑)。
「優しいという字ばよく見てみぃ。人ン横に憂いが立っとろうが。悲しみが立っとろうが」

人は悲しみが多いほど 人には優しく できるのだから。

・・・私たちの世代には懐かしいお話です。

本当なら、辛い悲しいことなんて体験しない方がいいのに、と思ってしまいます。
それでも避けて通れないのが私たちの毎日です。
「SACHIKO」さんも「不幸せ数えたら 両手でも足りない」そうです。
・・・涙って、本当に枯れるのでしょうか。

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どこからアイデアを得たのかうまく隠しさえすれば、あなたはクリエイティブになれる。(The secret to creativity is knowing how to hide your sources.)

Albert Einstein の言葉です。

ニューヨーク大学夜間コースに通っていたとき、映画製作のあるクラスで、
コマーシャルのディレクターだった先生が最初にこう言いました。
「何を思いついても自分がオリジナルだと思うな。
今までに必ず誰かがやっているんだから」
ひぇ〜。厳しいお言葉です。

でも、本当にそうなのですよね・・・
オリジナルなものは、彗星のように、何年かにいっぺんしか現れない。
だからこそ、何かオリジナルなものを求めて、みんな頑張るんですね。

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何らかの妄想がなくては、誰も幸せにはなれない。妄想というのは、現実と同じくらい人の幸せには欠かせないものである。(No man is happy without a delusion of some kind. Delusions are as necessary to our happiness as realities.)

Christian Nestell Bovee の言葉です。

私はコワい映画を観ません。
いえ、「コワい」映画はまだいいのですが、「イタい」残酷な映画は絶対観ません。
そんなもの観てしまうと、その夜はその続編を夢の中で勝手に製作、
イタさ倍増のものすごいものを観てしまうからです。
イタいですよ、私の夢(笑)。

そんな話をしたら「想像力がある人ほど、そういう傾向がある」
と言われたことがあります。
そんなことを言われる前は「想像力がある」っていうのはいいことだと思っていたんですが、
そうでもないんだな、と・・・しかも私の場合想像力というより半ば「妄想」?・・・

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逝った者たちは死んではいない。それは私たちが生きている限り、明白な事実である(The dead are not dead; that is clear enough since we are alive.)

Alain(アラン)の「幸福論」からです。

私事で恐縮なのですが、この週末で父が逝ってから6年、
つまり今年は七回忌です。
アメリカに住んでいるので、墓前には次回帰ったときに、
ということで許してもらっています。

昔祖母を亡くしたとき・・・
それが初めて親類を亡くすという経験だったのですが、
「世の中には取り返しのつかないことってあるんだな」と
漠然と考えたのを覚えています。

逝ってしまった人を想うとき、悲しい中にも少しだけ清々しい感じが残る・・・
そういう思い出し方をできるといいな、といつも思っています。
でも辛いお別れをすると、それもなかなか叶わぬこともありますよね。
人それぞれの想いがあるんですよね。

・・・私だって、そうはいっても
父に恨み言の一つくらい言いたいときもあるんです(笑)。

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自分の家よりゆっくりくつろげる場所があるだろうか。(Where could one settle more pleasantly than in one’s home?)

Cicero(キケロ)の言葉です。

毎年この時期になれば、「I’ll be home for Christmas~」と歌う
ビング・クロスビーの甘い歌声が町のあちらこちらに流れます。
若いうちは義務感にかられて帰る人もいるんでしょうが、
でも文句言っても、なんだかんだ言っても、「うち」って恋しいものですよね。
異国にいる方々はなおさら、ということもあるでしょう。
最近は航空券も高くなってきてますから、
「帰りたくても帰れない」っていう状況がこれから出てくるかもしれませんね。
なんでこんなに高いんだろ・・・

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私は生徒に何も教えない。彼らに学べる場所を提供するだけだ(I never teach my pupils; I only provide the conditions in which they can learn.)

Albert Einstein の言葉です。

生徒さんの親御さんから「テキストは何を使うのですか?」
と聞かれることがあります。
私が苦手な質問の一つです(笑)。
大きな声では言えませんが、
テキストなんて極論すれば何でもいいんだ、と思ってるんです。
もちろん「教えるのがラク」なテキストはあります。
でも使われるテキストが「駄目」だからできない、っていうのは、どうなんだろう・・・
もしそうだったら、なんだか私は「先生失格」みたいな気になってしまいます。

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