よく、いろいろな場面で使われる表現です。
それしかできなかった、他に選択肢がなかった、という場合に
こんなことをよく言います。
先日、NY州立大学のキャリアセンターが集まる会議がありました。
その中のBreak Out Sessionのひとつ、「障害を持つ人たちへのキャリアカウンセリング」で
外部から招待されたスピーカーの方が
ご自分の経験を話されたときに、こうおっしゃったのです。
よく、いろいろな場面で使われる表現です。
それしかできなかった、他に選択肢がなかった、という場合に
こんなことをよく言います。
先日、NY州立大学のキャリアセンターが集まる会議がありました。
その中のBreak Out Sessionのひとつ、「障害を持つ人たちへのキャリアカウンセリング」で
外部から招待されたスピーカーの方が
ご自分の経験を話されたときに、こうおっしゃったのです。
Ian Ziering (「ビバリーヒルズ高校白書」、覚えていますか?)の言葉です。
この1週間は、鈍感な私もさすがに心がわさわさするような
そんな1週間でした。
昨年の春・夏に続き、ソーシャルネットワークのおかげで
中学時代の友達に再会できました。
何年たったかは伏せておきますが(笑)卒業以来です。
その間に、気が遠くなるくらいたくさんのことが起こっているのに
そんな時間の溝はどこかに吹っ飛んで
昔や、そして今をたくさん話しました。
うらやましいくらいに地に足の着いた素敵なその友人は
颯爽と目前にある目標に向かって飛び立ちました。
そして、一週間後。
友人が日本への帰国を決め、さようならをいうことになりました。
一時的だということは分かっています。
毎日一緒にいたわけでもありません。
それでもなぜか感じていたこの親近感からくる喪失感は
何度経験しても寂しいものです。
また、長くNYにいた友人には
私はどうしても自分の姿を投影してしまうようで
何となく他人事ではなかったのかもしれません。
ご存知映画実写版「ピンポン」より
中村獅童さん演じるドラゴンのセリフです。
ペコとドラゴンの熱い試合の最中
なかなか決着が着かないラリーの応酬。
でもそのうちに
高まる歓声も自分たちの汗も遠のいて行き
気が付けば真白な宇宙の中
二人でただただ球を追っている。球を打っている。
そんな時、険しかったドラゴンが表情を柔らげ言う言葉です。
「稽古とは 一より習い 十を知り 十よりかえる もとのその一」
茶道の心得を詠んだ「利休百首」からの引用です。
習ったことを初めからやり直すと理解度や感受性が深まるということだそうです。
確かに
昔観た映画を今見ると
違った感じ方をしたり昔はわからなかったことがやけにすとん、とわかったり。
何もわからないときに学ぶことももちろん意味がありますが
何かを学んだあとにまた学びなおす、というのも
また違った味があるのかもしれません。
私の友人Kが言ってくれた言葉です。
重兼芳子さんのエッセイのタイトルに、似たような言葉がありました。
Kは私より10ほど年上のお姉さんなのですが
いつも二人でバカ笑いして
遊んでもらっています。
そんな彼女が、言った言葉。
私の大親友、Qが教えてくれたことです。
今日、あれしようかこれしようか、「悩むなぁ。」
と思ったところで、思い出しました。
いやいや、迷ってるだけだから。
正しくは、「迷うなぁ。」
なるほどね。
誕生日を機に
また足元を見直してみようか。
何かのプロといいますか師匠といいますか
先生といいますか親といいますか
そういった方はここぞというところで
非常に厳しい顔で弟子たちや子供たちを観察します。
あの顔、私持ってないなぁ、と前々から思っていました。
普段からでろでろした顔ですが、どうもそれだけが理由ではないようです。
May Sartonの言葉です。
私もこんな年までふ〜らふら、ふ〜らふらしておりますので
皆様にご心配をかけております(笑)。
そしてなんだか「大変そうだね」といわれたり
かと思うと「自由でいいね」と言われたり。
そのどれもが真実なので
元気よく「はいっ」とお答えするしかないのですが。
だって、大変で、ラクなんですから。
・・・みんな、そうなのではないでしょうか。