友人に自分のことを説明するときに、いちばん最初に出てきた言葉が
「おかちめんこ」でした。
どんなメンコかも知りませんし、いい言葉なのか悪い言葉なのか
そんなことも知らずに
でも口をついて出てきました。
そういう風に出てくる言葉が、自分の本当に思っていることなんですよね(笑)。
私はproudly「おかちめんこ」。
友人に自分のことを説明するときに、いちばん最初に出てきた言葉が
「おかちめんこ」でした。
どんなメンコかも知りませんし、いい言葉なのか悪い言葉なのか
そんなことも知らずに
でも口をついて出てきました。
そういう風に出てくる言葉が、自分の本当に思っていることなんですよね(笑)。
私はproudly「おかちめんこ」。
ボードレール、「巴里の憂鬱」を読み返していましたら、
がーーん。そういえば、あった。でも昔は気にも留めなかった。
でも今は突き刺さった。
一番無垢であるはずの子供に泣かれたら
どうしよう。
運よく下の甥っ子も
私を見ても泣かず、すっかり仲間だと思ったらしくて
遊んでくれました(笑)。
女性でなくてもこういう「絶望」があるのでしょうが、
やはり女性の方がこのインパクトは強い気がします。
性差別者と言われようがなんだろうが
私がこれがコワい(笑)。
公園を散歩しておりましたら
恐らく障害を持っていらっしゃると思われる
大きなお子さんを車いすに乗せて散歩する親子に遭遇。
ヒスパニック系のアメリカ人と思われました。
目が合って、つい身体が動いて近づき「こんにちは。いいお天気ですね」と話しかけると
「本当に」そして立ち話。
お子さんにも声をかける。暖かい日差しの中で、無表情ながら少し微笑んだであろう彼。
「それでは、また」
別れて歩き出す私の目には、やはり涙がにじんできました。
それは憐れみからではもちろんなく、自分に対する腹立たしさからでした。
「SWITCH インタビュー達人たち」から、藤山直美さんの言葉です。
「ものすごい努力してるんや、となると、私が私に恩着せがましくなるから。
それは身体に出るから。身体に出ると、お客さんに拒絶されるから。」
役者というお仕事について語られた時の言葉です。
「鍛錬や訓練が、普通になっているのが、すごい」
私は知る人ぞ知る、舞台フリークです。厳密に言うと、お芝居かどうかに関わらず
「Theatrical Experience 」、シアターという空間が好きなのだと思います。
アメリカに来てから舞台は700回以上観ております(笑)。
そんな中で、この「恩着せがましい」舞台、確かにありました。
「アザトサ」でもあるのかもしれません。
大学のPaintingの生徒さんとお話しておりましたときに
彼が言った言葉です。
彼のポートフォリオは素晴らしく、私がほぅ、とため息をついたときに
こう言われました。
深いですね。
古い友人が私に言ってくれた言葉です。
別に卑下しているわけでもなく
自分の人生を嫌いなわけでもなく
ただ時に私は
「私の人生は平々凡々、なんてことない人生だなぁ」
と思うことがあります。
そんなことを話した後の、言葉でした。
Doctor Whoから、ドクターの言葉です。
「私たちは皆物語を紡いでいる。だから最後には・・・いい話にしようじゃないか」
Self-Authorshipという言葉があります。とっても大好きな言葉です。
この”author”は必ずしも物語を書くための”author”という意味だけではないのですが
深い可能性を持つ言葉として、よく考えます。
人の人生は物語。その物語を聴くのが
私が関わっている仕事の醍醐味の一つでもあります。
・・・そしてワタクシゴトながら、今日は誕生日。
新しい章を開くことができるでしょうか。
「二つ目だから」しかたない、とか
「二つ目なのに」すごい、とかなるわけです。
ぶら下がったり、助けてもらったりしている。
真打ちだと、ダメだと人はふっと横向きますから。
春風亭一之輔師匠の真打披露会見で、柳家小三治師匠の言葉です。
その「名」に相応しい責任とプレッシャー。
どこの世界も同じなんですね。