コミュニケーションのただ一つで最大の問題は、「意思疎通ができた」という幻想だ。(The single biggest problem in communication is the illusion that it has taken place. )

George Bernard Shaw の言葉です。
まったく、この皮肉なオジサマ、どうしましょう(笑)。

「誤解」というのは厄介なものですね。

そういえばはるか昔にこんなことがありました。
友人(女性)があるものを探していたので、
貸してあげようと私がまずそれを差し出しました。
その場にいた男性の方も、同じものを差し出しました。
タイミングの妙で、彼女は、その男性のものを使いました。
彼女はその際に「ごめんね」と言ってくれました。

その謝罪の意味を巡って・・・
私:「私もせっかく差し出したのに、私のものを使わなかったことを謝ってくれた」
男性:「橋本があこがれているオレのものを使ったことに対して謝ってくれた」
という誤解が起こり、何やらおかしなことになってしまいました。
結局私の解釈の方が正解だったのですが・・・青春っていいですね(笑)。
今でもなぜか愛しく微笑ましく思い出す一コマです。

・・・すみません、また話が逸れました。

 

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本当に良い刀は鞘に入っているものですよ(Good swords are kept in their sheaths.)

ご存知「椿三十郎」から、
入江たか子扮する城代家老の奥方の言葉です。

思えば三十郎(三船敏郎)は鞘を持たない刀、
antagonistの室戸(仲代達矢)は鞘に納まりきらない刀。
どちらもよく切れる。
そんな共通点からか、
三十郎に騙されて味方同士として語らう二人のシーンには
何とも言えない相互理解とつながりが感じられます。

・・・・などという三十郎の感想はどうでもよいのですが(笑)・・・

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福を取り尽くしてしまわぬが惜福であり、また使い尽くしてしまわぬが惜福である。

幸田露伴の「努力論」から、有名な「幸福三説」の中の「惜福」です。

「幸福三説」とは「惜福」「分福」「植福」の3つです。
「分福」「植福」は読んで字のごとく、です。
福はみんなに分けるものである、自分だけ幸せになるのではなく、
周りを幸せにして初めて自分も幸せになれる(「分福」)という考え、
また「植福」は、将来の幸せの種を植え、植物を慈しむように
その幸せを育てる=正しい努力をする、ということだそうです。
過去は変えられないけれど、未来には自分で挑戦できるんですね。

惜福」とは、「福」を惜しがることではなく、
「惜しむように」「もったいないように」「福」を享受することだそうです。

日本の帰った際に買ってきた、大好きなしそちりめんを
少しずつ、少しずつ食べた自分を思い出しました・・・
・・・ちょっと次元が低かったですね。

この三つは、お互いに絡みながら、
「幸福」というものに対して私たちが考えるべき視点を与えてくれます。

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人はね、「ここぞ」というときには、何にも言わないの。

古畑任三郎シリーズより、「偽善の報酬」の犯人、
佐々木高代の言葉です。

売れっ子脚本家である彼女の犯行を見破り
「もしこれがドラマでしたら、先生でしたらどんなセリフで幕を閉じますか?」
と聞く古畑任三郎に、彼女がいう言葉なのです。

彼女はこうも言っています。「今のドラマはね、話し過ぎよ」
・・・おっしゃる通り。

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仕事に必死になる以上に、自分を磨け。(Work harder on yourself than you do on your job.)

Jim Rohnの言葉です。

先日、知り合いのツテで、
夏の間レストランのウェイトレスのバイトをさせていただきました。
まだまだ勉強中の身ですので、
我が儘なスケジュールに合わせて働かせていただいて
お金もいただける、というのは本当にありがたいことです。

リテールとファストフードしか経験のなかった私には新鮮なことだらけで、
皆様にご迷惑をおかけしながら、
それでも毎回楽しく働かせていただきました。

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