ありがたいことに、旧友たちの前ではおバカになれる(It is one of the blessings of old friends that you can afford to be stupid with them.)

Ralph Waldo Emersonの言葉です。
時代にあまり乗れない私も、Facebookのおかげで
ずいぶん昔の友達とつながることができました。本当に感謝。
昔の友達とは、
過ぎ去ってしまった時間をいとも簡単に飛び超えることができます。

まるで昨日、学校から一緒に帰ったみたいに。
まるで昨日、交換日記を渡したみたいに。

昔の友達というのは不思議な存在で、
頼ったり、競ったり、
くっついたり、ちょっと遠くなったり、
でもなかなかなくならない存在です。
携帯電話なんてなかった時代に、でも心があんなにつながった友達。

もちろん大きくなってから、大人になってから出会った友達も
とてもとても大切な友達です。
でもよく「子供のとき」の友達と「大人のとき」の友達が
分けて語られることがあります。
どうしてでしょう。

小さいときは全く打算なく、「素」のままで出会ったから。
大人になると、友達になる前に相手を評価してしまうから。

・・・いろいろな意見があり、どれもなるほど、と思うものばかりです。

人間関係は一緒にいる歴史が問題なのではない。
「どれだけの時間」ではなく「どんな時間を過ごしたか」による、と私は思います。
そして昨日会った人が、まるで何十年も前からの知己のように
私の人生の一部になることもあります。
同じ宇宙を、たまたま別の空間で生きていただけだったんでしょうか。
二つの人生が無理なく自然に重なるんですね。

でもその一方で、時間は確実に過ぎ去っていき、
残念ながら過ぎ去った時間を再び体験するのは、今のところ不可能です。
その時間を一緒に過ごした、ということは、
やはり貴重です。

そういった意味で、その過ぎ去った時間への想いを胸に、
その時間を、それぞれの心で刻んでくれている友達と話すのは、
何とも言えない贅沢なタイムトリップなのではないでしょうか。
だからその「時間」が昔であればあるほど、
懐かしさも増してしまうのかもしれません。

もちろん、いつの間にか、理由は何であれいなくなるお友達もいます。
でもその人に会えたことは、無駄ではないんですよね。
傷つけられても、傷つけても、会えてよかった。

「昔」の自分を知っていてくれるけれども「今」の自分を知らない友達に
恥ずかしくない自分を見せたい、と思う反面、
自分の何かしらの出発点を、言葉でなくただ共有し理解してくれた友達。

だから人生のそこここに、大切な友達がいます。
10代。20代。30代(ここらへんでやめておきましょう 笑)。
今回はFacebookのおかげでさらに遡れました。

友達はやはり財産
そういう意味で私たちは「アラブの大富豪」よりリッチになれます。
私はもっともっと「富」を得たい、と思っています。

これまで出会った大切な友達の皆さん、
どうもありがとう。
これから出会うであろう大切な友達の皆さん、
どうぞよろしく。

最後にこちらをぷちっとしていただけると幸いです

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