堪忍の袋を常に首へかけ 破れたら縫え 破れたら縫え。

道歌から拝借しました。
以前ご紹介した「博多の仙厓さん」の歌と同様、
落語「天災」でこの歌を覚えました。

この歌をアメリカ人の友人に説明するのはいつも一苦労です(笑)。
字面通りには伝えられたとしても、
その感覚は、伝わらないだろうなぁ。

「堪忍袋の尾が切れる」
私は短気でこらえ性がないので、よくあります。
どっかーん。ぷっつーん。
頭で、心で、何かがよく爆発します。
いかんな〜、穏やかに生きたいものだな〜、と思いながら
それでも切れるものは、切れるんです(笑)。

私たちはいろいろなことを「堪忍」しなくてはなりません。
痛み。悲しみ。苦しみ。
そうそう、以前、
人間が一番我慢できない感覚は「かゆみ」だ、と聞いたことがありますが、
本当でしょうか。
・・・・すみません、ちょっと脱線しました(笑)。

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勇気とは、自分がコワいことをやることだ。だから「コワい」ことを知らないかぎり勇気なんて出てこない。(Courage is doing what you’re afraid to do. There can be no courage unless you’re scared.)

Eddie Rickenbackerの言葉です。

いじめ」の問題を考えると、本当に無力感に襲われます。
何を言っても、とてつもなく虚しく感じることがあります。
理屈では何とも説明がつかないからでしょうか。

いじめられた人。いじめた人。その家族。
気づかなかった人。気づかないフリをした人。その家族。
誰が悪いか、何が悪いか、分からない。
特にいじめは他の犯罪にも増して当事者が子供同士のことが多く、
よって問題は社会的に複雑になります。

何をしたらいいのか。どうしたら防げたのか。
いじられる子も、いじめる子も。

 

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戦いそれ自体が面白いのだ。勝利ではない。(It is the fight alone that pleases us, not the victory.)

Blaise Pascal、パスカルの言葉です。
「パスカルの定理」っていうのが、ありましたね・・・何でしたっけ?

以前モチベーションについて考えたときに
「内因性(intrinsic)」「外因性(extrinsic)」についてみてみました。
この言葉は、明らかに「内因性」の匂いがするのですが、
でも「外因性」の方にもあてはまらないわけではありません。

何かにパッションを注ぐことができたとき、
人は結果とともに、あるいは結果よりも
その過程を楽しむようになるのかもしれません。

でも確かに、「じゃんけん」などは結果が大切かもしれません。
勝たないと、手を挙げてふり下げる過程に意義を見いだすのは、
ちと辛い・・・かな?

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私を魅きつけるものは才能や魅力ではない。熱情を持ってそこに「在ること」だ。(It is not a talent or charm that attracts me; it is the very being with passion.)

・・・お恥ずかしい限りでございます。
私が思っていることです。
きっとどなたか賢人が先に仰っていると思うのですが、
ぴたりとした名言を見つけられなかったので、そのまま書いてしまいます。

人の才能や人柄や・・・いえ、そんな次元の話ではなく、
「その人が在る」ということ自体に「ホレて」しまったとき、
息ができなくなるくらいの一撃を脳天に喰らうことがあります。
それは幼い頃のほのかな恋心とは違い
理不尽に私たちの感性をひっつかみ、ねじり、震えさせます.

世の中には「Motivational speaking」のようなものがあります。
その効用にはものすごいものがあって、
だからこそそれがたくさんの人を力づけているのだと思います。
Tony RobbinsもOprahも、たくさんの人を勇気づけてきました。

それでも私は何となく馴染めないところがありました。
人が何かを言って、それがある人にとって動機付けになる、というのは、
何となく「結果論」であるべきだと思っているからかもしれません。

「動かしてやろう」として動くものではない。
人間ってそういうものでもあると思うのです。

 

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