いつか「ヨルタモリ」でタモリさんがこんなことをおっしゃっていました。
そうなんですよね。
これは、人だけではなくいろいろな場面にも当てはまりそうです。
理由があるからやれないのではなく
やりたくないから理由が見つかる。
だからやっぱり
「好き」に理由はいらないんですね。あるかもしれません。でもいらない。
だって、理由なんて考える必要ないんですもの。
いつか「ヨルタモリ」でタモリさんがこんなことをおっしゃっていました。
そうなんですよね。
これは、人だけではなくいろいろな場面にも当てはまりそうです。
理由があるからやれないのではなく
やりたくないから理由が見つかる。
だからやっぱり
「好き」に理由はいらないんですね。あるかもしれません。でもいらない。
だって、理由なんて考える必要ないんですもの。
小さい時の母の思い出は他愛もないものばかりで
夏の大嵐の日に安普請の公務員宿舎で
強風にたわむ窓ガラスをきゃーきゃー言いながら
一緒に支えていた時に見上げた母の横顔とか
近所の神社の「節分の日」の豆まきで
神社の人が撒いたサイコロキャラメルを
片手に私を抱いたまま母がナイスキャッチ。
「ポケットに入れておきなさい」と言われたのになんとなく眺めていたくて
ずっと手にしていたら隣の人とぶつかってあえなくキャラメルは地面に。
その瞬間にそのキャラメルをさらっていった手。
そして母の残念そうな顔。
そんな思い出を作れるのは、羨ましいと思いつつ
私は子供がおりませんので、甥っ子たちとそんな思い出を作ろうと思っています。
David Bowieが亡くなった日
私は偶然一枚の絵を描いていました。
The Deep Soar。
飛翔。でも、深く吸い込まれる感覚。
彼は宇宙の深い闇の中に帰ってしまったけれど
それでも限りなく飛翔し続けるのでしょうか。
「二つ目だから」しかたない、とか
「二つ目なのに」すごい、とかなるわけです。
ぶら下がったり、助けてもらったりしている。
真打ちだと、ダメだと人はふっと横向きますから。
春風亭一之輔師匠の真打披露会見で、柳家小三治師匠の言葉です。
その「名」に相応しい責任とプレッシャー。
どこの世界も同じなんですね。
暦の上ではDecember。
冬最初の日、といいながら
NYでは記録的な暖かさ。
ホワイトクリスマスどころかFoggy Christmas(霧のクリスマス)だそうで。
そんな中で今年一年を振り返るのは、ちょっと拍子抜けしてしまって
なんとなく気分がノリません。
季節の移り変わりって、本当に大切ですね。
キャリアカウンセリングをしていると、いろいろな方にお会いするのですが
その「いろいろ」というのが、「いつ前に踏み出すか」というタイミングにも当てはまります。
見る前に、飛ぶ人。
石橋をたたいて、壊す人。
前を、見ない人。
どれもが正解でも不正解でもなく、ただ、その人が選んだ、というだけの違いです。
話すだけで周りをよどませてしまう人。
困難に陥っていても、どうも助けるのがいやになってしまう人。
私はこれまで何度かそういう方に会っています。
自分の心が狭いのかな、と反省したりしますが、
でもそう感じてしまうのはどうにもとまらないようです。
この間も
一所懸命ハッピー波を送ってみたものの
その方のあまりのネガティブ・シールドの厚さに撃沈
カウンセリングの後立ちあがれなかったことがありました。
・・・まだまだじゃな。
自分は自分ひとりだけで生まれてきたわけじゃない。
自分の家族のおかげだけでもない。
綿々と続く人間の、生物の、地球の歴史の中で
たくさんの奇跡と幸運が組み合わさって、今自分はここにいる。
先日、大切な友達の結婚式がありました。
そこで牧師さんがおっしゃった言葉です。
「四十を過ぎたら自分の顔に責任を持て」リンカーンの言葉でしたね。
喜びや悲しみや疲れや怒りなど
ちょっと気を許すと顔に出てしまいますね。
性格も、トシも、野心も、何もかも。
その責任をとる、かぁ。責任重大です。
「何をしても幸せにならなきゃいけない人生なんて、生きること自体罰みたいなもんじゃないか。」
テレビ版「白夜行」の一場面です。
人間は、勝手な生き物です。
捧げる方も、捧げられる方も、勝手なのかもしれません。
勝手に人生を捧げる分にはいいのですが、
捧げたことを相手に告げられた場合、そんな重い枷はない。
捧げたからには言いたくなるのも、人情なのかもしれませんが。
親子関係にも、これが起こります。
少し前に日本でも「毒親」という言葉が流行りましたね。