Ralph Waldo Emersonの言葉です。
どんな思想にも傾倒することなく個人、自由、そして自然状態を追求した詩人らしい言葉だと思います。
世界とどのように関わっていくかは、人によって全く違います。
人それぞれ偏見も先入観も判断基準も違っているので当然です。
ある人は自分の周りのものをコントロールして、自分に心地よい環境を作ろうとします。
またある人は環境に合わせてロデムのように自分のカタチを変え、背景に混ざっていきます。
こういう人たちが一緒に旅行でもしたら、大変ですね(笑)。
さて今日は最後の側面「外の世界とどのように関わるか Judging vs Perceiving」です。
ちなみに最初の「Judging」は「judgmental(すぐ判断を下して決めつけること)」ではありませんので、ご注意ください。
「Judging」な人は、簡単に言うと前述したコントロール型です。
物事の構成、物事の始まりと終わり、そういったものをきちんと理解したいと思っています。
旅行するときに、まるで往年のアイドル歌手のように分刻みのスケジュールを作って安心する人がいます。
そんな方はまさしく「Judging」ですね。
反対に「まあ、泊まるところとお金さえあれば・・・」とゆる〜〜く計画して旅行する方は「Perceiving」です。
「Perceiving」な人は柔軟性(flexibility)をいつも持って、
即時的(spontaneous)に反応していきたいと思っています。
「オレはdangerousに生きるんだぜ」と意気込んでいる方は完全に 「Perceiving」、
あるいはそうなりたいと思っている方です。
「Judging」な人は、物事に「closure(結末)」を求めます。けじめがないと、次にいけません。
「open−ended」な映画(はっきりと結末を見せず、観客の判断に任せるような映画)を観ては
「あ”〜〜〜」とフラストレーションをためることでしょう。
「シェーン」なんか、いい例です。最後にシェーンは死んだのか?!(笑)ってやつですね。
「Perceiving」な人は、別に分刻みで決められて嫌なことはないのですが、あまり度が過ぎると窮屈に思います。
自分が「理解した」と思うことが大切なので、たとえ結末がはっきりしない映画でも
それなりに理解して楽しんでしまうことがあります(笑)。
仕事で何かプロジェクトを進めるとき、この2つの違いはかなりその進行に影響します。
始める前からでもきちんと、できれば一挙一動一投足計画を作りたい「judging」。
そこまでの計画がなくてもとりあえず始める「perceiving」。
いつも通り、善し悪しではなく、ただ、アプローチが違っちゃうんですね。
だから「perceiving」な人は「judging」の人の計画をみて「ここまで・・・」とあきれ、
「judging」な人は「perceiving」な人をみて「いい加減だなぁ〜」と思う訳です。
何となく思い当たるフシは、ありませんか?
*****
これでMBTIの4つの側面、駆け足ですけれど終わりました。
このテストをすると、結果は16通りのタイプのいずれかに落ち着きます。
でも、その奥のバリエーションたるや、無限にあります。
人は複雑な生き物ですから、完全に「私はこっち」と言えないわけです。
これまで比較したそれぞれの側面の2つのタイプを両極に持つ物差しの、どこかに着地点がある訳です。
その着地点は、本当に様々なんですよね。
・・・でも、でも。その16通りの結果にはやっぱり少しは意味があって(笑)、
「CEOに多いタイプ」「役者に多いタイプ」「運動選手に多いタイプ」「医者に多いタイプ」
っていうのがあるんです。
キャリアカウンセラーは、一つの指針としてあなたのタイプから想定できる適した仕事をご提示します。
でもそれは
「あなたの性向を考えますと、これらの仕事だと・・・
割合にストレスが少なくて、
比較的人ともうまくやれて、
どちらかというとあなたの実力がフルに発揮できるんではないか・・・なんちゃって。
あとは自分で決めてね。」
という回りくどい提案なんです。
だから別にその仕事に就かないといけない、ということはありません。
ふーん、と理解した上で、ご自分のやりたいことをされるといいと思います。
自分の性向とはちょっと違う分野に進もうと思うなら、その違いを理解して進めばいいんです。
そういった意味で、こういうタイプを知ることは、何をするにしても決して無駄ではないな、と思う訳です。
もしご自分のタイプをお知りになりたい方がいらっしゃいましたら、
また、何かご質問がございましたら、
左側のクリームパンみたいな握りこぶしをぷちっ、と押してご連絡ください。