Alain(アラン)の「幸福論」、「友情」の章からです。
赤ちゃんが笑う、というのは周りの人を、
そしてひいては世の中を幸せにしてくれるような気がします。
自分もそんな風に笑っていた時期があったんでしょうか。
・・・誰にも絶対あったし、またあるんだと思います。
つい忘れがちなことですね。
疲れていたり、落ち込んでいたり。
人のことを羨んでいたり、恨んでいたり。
ほっぺたの肉が硬直して、笑えなくなってしまうことがあります。
「赤ちゃんがこの世で一番最初に笑うとき、彼の笑いは何も意味していない。
彼が食べることを喜ぶように、笑うことを、ただそれだけを楽しんでいるのだ。
でも、食べることと同じように、笑うことも、まず最初はトライしなくては始まらない。」
アランはそう続けます。
笑うことに理由はいらないんですね。
笑うことが楽しめれば、それでいいんですね。
赤ちゃんの笑いのように、笑いは伝染します。
私は何戸もアパートがある大きなビルにすんでいるのですが、
引っ越したばかりのとき、誰も知らず、しかも相手は英語をしゃべりますから(笑)、
アパートの住民とおぼしき方と道ですれ違うときはちょっと緊張したものでした。
でも相手がにこっ、としてくれると
こちらも不思議に緊張がとれて、
堂々と「はろ〜」と言える自分に気づきました。
だから私も、とにかくにこっ、としてみることを始めました。
もちろん、にこっ、を返してくれない人も、たくさんいます。
でも自分がにこっ、っとしたことで、もう十分でした。
反対に自分がにこっ、とできなかったり、
相手がにこっ、としてくれたのにタイミング悪く返せなかったりすると
悲しい気分になったものです。
・・・そういうものなんですね。
アランは他の章でもこういってます。
「人が小突いてきたとき、笑えば小突き合いがなくなる」(意訳)
あ〜、単純なことですね。悪いスパイラルを、自分がちょきんっ、と切る。
自分だけがそういうことをして「損」だと思いますか?
人間ですから、そう思ってしまうときもあるかもしれません。
でも違うんですよね。
きっとものすごい「得」をしていると思います。
だから私も、やっぱり「にこっ」をしてみようと思います。
でも簡単に「笑い」ったって、確かに練習が必要で、
ほっぺたの肉だって「肉」ですから、筋トレしないとだめなんでしょうね(笑)。
だから毎日、気づいたら、「にこっ」。
・・・それにしても、「にこっ」って
なんて柔らかい文字なんでしょうね。
笑っていますね。